退院後、初の診察がありました
、、、、、
今回の入院も、同室の方に恵まれ
皆さん術後のお身体が
回復されてから
たくさんのお話をして
楽しく過ごさせて頂きました
そして毎回
看護師さんたちとのお話
お薬の話や、主治医の先生の話
院内のこと、、
色々と教えてもらえてためになる
ただ、、
今回は
緩和チームにお世話になったり、
終活について
家族と話す機会を持った方がよいよ
面談があったり、、
そして先生からは
治験の話も出たりしました
なんとなく落ち込む要素満載で
疲れたしで
ブログも書こう書こうとおもいつつ、
退院報告もできずにいました
放射線治療の間は
腸に穴があいてしまうかも、など
重大な副作用の確率が
上がってしまうため
カボメティクス休薬
のまま過ごして
退院約1週間後の診察日。
今回は主人が出張に出掛けていたので
1人でのぞみました
そうしたらなんと
いつもより混んではいましたが
なかなか呼ばれず、、
そろそろ心配になってきた頃
中待ちまで主治医がこられて
『少し長くお話したいことがあるので
もう少しお待ち頂いてもよろしいですか』
って
あー、なんかある
実はわたしのガンは、
稀で予後が不良の
集合管癌
ただし、宣告時の担当医からは
それについて特別説明もなかったし
《ガンである》という事実自体が衝撃的すぎて
その事についてはあまり
気にもしていなかったし
知識もなかった。。
その後
こちらのブログで
集合管癌(ベリニ管癌)
の方がいらして
私もですみたいなお話をしたことが
あったくらいでした
今回のお話は、、
私の今の主治医の先生は
総合腫瘍科で
治験などを詳しく扱っている
らしいのですが、
病理に私の検体を
出してくれたら
なんと、その
稀なベリニ管癌の中でもまた
稀なタイプらしい
そして
治験とは
もちろん今後の標準治療となる
お薬を試すわけなので
わたしのような
特殊
な癌は対象にならないらしいのです
そして体調も悪いなんてもってのほか
先日輸血🩸をして
少しもどっていた
ヘモグロビン濃度
もまた下がり、
そしてなんと今回の
CRP値は
一気に跳ね上がり
12.90
ここら辺から頭が
えっってボーとなりつつあり、、
ちゃんと聞かなきゃ
でも今のあたしおかしくなってるから
録音しておけばよかったかな
とかそんなことばかり
クルクル頭をよぎって
頑張って理解しなきゃと一生懸命でした
そうしたらなんと
今度は
がん遺伝子パネル検査
をしてみましょう
との提案が
ベリニ管癌はそもそも
腎癌のお薬が効くとは
限らないんですね
前回生検で採取した分で足りなかったら
追加でまた生検を、、
しかし、抗がん剤をして
薬漬けになっているので
それでも大丈夫なのか、、、
って
え、気持ちが追いつかない
ゲノムパネル検査
ブログで目にしたことはあるけど
まさかこんなに早く私も
参加することになりそうだなんて
調べてみたら↓↓↓
その後、1か月毎の
ランマーク
を打ってもらうために、
処置室へ移動
外来の看護師さんに
今回のお話お一人で聞くのはつらかったですね
眠れていますか、、?
心は大丈夫ですか、、、?
ご家族以外にも話す場所はあるので
いつでも連絡して下さいね、、、、
と、優しく声を掛けてもらえばもらうほど
あ、、、やっぱりそういうことなんだ
って、ここで泣いちゃダメだよ
って
帰りの電車🚃は
久々に乗ったからではなく
なんだか車両の中で、
1人別世界にいるような
みんなとは違うんだ
みたいな、ふわふわして
わけがわからなくなっていました
そして、家についても
ずっと検索したり
みなさんのブログを遡ってみたり、、📱
とりあえず、病理の先生からの
お返事は
間に合わなかったので
来週詳しくお話を聞きに行くことに
なりました。。。
なんだろう?
コレ
あの先生や看護師さんたちの
空気感でそうなっているだけ?
いや、現実をちゃんとみて
いやいやいや
まだまだ大丈夫でしょう
なにが?
お薬はもうない、ってことだよね
まだ希望を持ってていいの??
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今、長男は友達とスノボ🏂に
行っていて
心配させたくはなかったけど、
病院の結果を気にしてくれていたから
家族LINEで簡単に報告。
そしたら
現地から📞くれて、、
主人も次男も帰宅後
すぐに私の部屋へ来て
話を聞いてくれました、、、
あー、なんだかわからないけど
まだまだ
がんばろ
入院中、庭園の端っこから見えた
月とTDLの花火🎆
とても寒くて、外に出てる人は
私ひとりだった😂