阪神タイガースが18年ぶりの優勝をしましたが、次に阪神が優勝する頃には、この鉄路は残っているのでしょうか。芸備線にかかる橋梁が出来た頃は、最先端の技術だったそうです。地域の住民が、お弁当持参でこれらの橋梁を走る列車を見に集まったそうです。一日のダイヤが、3本か4本ではやはり厳しいのでは?

 

中国山地は、厳しい山地であることがわかる橋梁でした。過疎はすすんでいました。

見る限りでは、まあまあの乗客が見受けられた。お得切符のおかげでしょうか。

岡山に戻って一枚。関西では見られなくなってしまいました。