校舎と校庭で住所が違う?! 敷地内に市境が走るナゾの中学校 | 勇者親分(負けず嫌いの欲しがり屋)

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 兵庫県姫路市東部にある市立大的中学校に、一風変わったエピソードが伝わっている。あるとき、何者かが侵入し、校庭の部室棟が荒らされた。学校が飾磨署に被害を通報したところ、管轄が違うと告げられる。「校舎は姫路市大塩町だが、校庭は高砂市北浜町なので、高砂署に届けてください」。そう、学校の敷地内に市境が走っているのだ。全国的にも特異な立地の背景をたどっていくと、高砂市長の逮捕事案にまで発展した「昭和の大合併」に行き着いた-。(小川 晶)

【写真】同じ地区なのに、付いたり付かなかったり… 「台」を巡る謎に迫る

 大的中は、1979年4月、姫路市立大塩中と的形中を統合して開校。創立20周年記念誌で、市議が当時の経緯を振り返っている。

 「校舎の場所をどこにするかということで地図を見ました。大塩と的形の中間地にすることになり、西は福泊の地蔵さんから、東は日笠山、北は清勝寺の所から測って全て1200メートルのこの地に決まりました」

 要は、校区を見渡しておおよそ真ん中を選んだということ。ちょうどその辺りに姫路市の所有地があったのも決め手になったとみられる。

 大的中の藤本浩校長(58)が補足する。「大的という校名も、的形では『なんで大塩が上なんや』という声が出たと聞く。どちらかに寄せた場所に建てると遺恨が残る、との配慮があったのだろう」

 だが、一つの問題があった。建設予定地周辺には、姫路市域に食い込むように、北側から高砂市域が張り出していた。

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 53年施行の町村合併促進法によって始まった昭和の大合併の波は、兵庫県にも及んだ。県市町振興課によると、同年10月の322市町村から、65年4月には97市町にまで減った。

 その過程でもめにもめたのが、姫路、高砂市境にあった印南郡大塩町。「火薬庫」と呼ばれた第1次世界大戦前のバルカン半島になぞらえ、「合併バルカン」とまで呼ばれた。

 郷土資料によると、同町は当初、周辺の印南郡的形村、北浜村とともに高砂市への合併を計画していた。だが、「政令市移行」を掲げ、人口増を目指す姫路市の思惑もあり、的形村が姫路市編入へとかじを切る。

 大塩町も揺れ動き、町議会は57年3月7日、姫路市との合併を決議。すると、翌8日未明、同町に通じる水道管が破壊され、一帯で水が出なくなった。

 高砂市が合併を見据えて同町の水道を整備し、供給を始めたばかりだった。当時の神戸新聞は「合併をめぐり姫路、高砂両市間に微妙な動きがあるため背後に政治的な問題がひそんでいるのではないか」との警察の見立てを記した。

 果たして、結末はその通りになる。

 翌58年9月、高砂市長と市職員11人が水道損壊容疑で逮捕された。大塩町議会の「姫路合併」決議に憤慨した高砂市長が、職員を集めて「給水を止めれば、大塩町は水のありがたみが分かる」などと発言。同市長は逮捕後、「破壊は指示していない」と主張したというが、公判では、実行した職員との謀議とみなされ、有罪判決が確定した。

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 北浜村は初志貫徹で高砂市北浜町となり、的形村と大塩町はそれぞれ姫路市的形町、大塩町に。59年、印南郡1町2村の合併に片が付くとわだかまりも次第に薄れ、いびつな市境だけが残った。

 20年後、大的中が開校。姫路市教育委員会は大塩町の市有地に校舎を建て、西側に隣接する高砂市北浜町の一画を購入して校庭に充てた。市教委によると、当時の教育委員会会議で敷地内を通る市境が取り上げられたが、「特に問題ない」と結論付けられたという。過去のいざこざよりも、大塩と的形の地域バランスが重視されたことが分かる。

 だが、ここで疑問が浮かぶ。なぜ、あえて西側の高砂市域に校庭を設けたのか。藤本校長は「開校当時、周辺はほとんど開発されていなかった。姫路市域である校舎の東側や北側に敷地を広げる選択肢もあったはずだ」と首をかしげる。

 大的中や市教委に、手掛かりになるような資料は残っていない。「校舎の東側は水路が通っているので避けたのかも」「土地の売買で都合が付いたのが西側だったのでは」-。関係者は思いを巡らすが、どれも推測にとどまる。

 ある姫路市幹部は「校庭周辺の、南に延びる高砂市北浜町のエリアを姫路市域に組み込む計画があったような…」。その記憶が事実ならば説得力のある答えになるが、姫路、高砂市の担当部署に問い合わせたところ、確認はとれなかった。

 謎が謎のまま残り続けている大的中の境界問題。改めて校庭を姫路市域に組み込もうという動きは、どこからも聞こえてこない。