http://news.infoseek.co.jp/article/president_13304
■「栄屋ミルクホール」のカレーライス
昭和18年生まれの俺が小さい頃は「ライスカレー」だった。家庭でも外食でも、年に何回かしか食べられないご馳走で、それは、黄色に輝いて見えた。高度成長期、俺も成長した頃には、「カレーライス」の呼び方が一般的になり、最も経済的な日常の食べ物になっていた。わずかな西洋料理やインド料理のレストランに、慣れ親しんだ黄色とは異なる、高価なカレーライスがあった。
平成になる頃から“本場”のカレーが姦(かしま)しく注目を浴びるようになった。いまや、あの昭和の黄色いカレーライスは「幻」だったのかと思われるほど、遠い。それが俺の印象。
あの黄色いカレーライスがあるという噂に触れると、わざわざでも行って食べたくなるのは、たぶん郷愁かもしれない。唇や舌にねばりつくような“うどん粉”の旨味の中から、優しい辛さが立ち上がる。俺にとっては安堵の味であり、まさに、幸せの黄色いカレーライスなのだ。時代の流れ、ルウの影響で、多少茶色が強くなってはいるけれど、黄色のイメージの味に「うめえな、これだよ」とつぶやいた。
■このカレーは昭和の空気とともに食うべきだ
昭和モダンが薫る店名、そして建物は大正末期の関東大震災後に流行った看板建築の貴重な生き残りだ。昭和の歴史とともにあったカレーライスを味わうに、これほどぴったりな空間は滅多にない。初めての人も懐かしさをかき立てられるはずだ。
昭和の初めから間もなく1世紀。街の一隅で、簡単にはなくならない暮らしと味が息づいている。
(文・遠藤哲夫 撮影・岡山寛司)