死後の裁判で死刑判決 | 勇者親分(負けず嫌いの欲しがり屋)

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9世紀のローマ教皇・フィルモススは死後、政治的な理由で裁判にかけられた。そのため、墓から掘り出した彼の死体は教皇衣を着せられて出廷。裁判の結果、死刑となった。(ビッグコミックオリジナル5月5日号より)


うーん←腕組する勇者

なんか変な話だなー???

詳しくは下のアドレスでお願いします^^

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%B9_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87

あれ?表示できないぞー???

わかった!←手をポンとする勇者

最後の「)」のせいだ><

最後に「)」を追加すれば読めますが…面倒ちいので、コピーをUPしました^^

フォルモススFormosus、生年不詳 - 896年4月4日)は、第111代ローマ教皇(在位891年- 896年)。

枢機卿であったときに、東フランク 王アルヌルフ をイタリア王 として戴冠する。しかし、時の教皇ヨハネス8世 の反発を買い、破門に処せられている。教皇に就任すると、896年、イタリアに侵攻したアルヌルフに対して、西ローマ皇帝として戴冠した。しかし、このような行為は大きな反発を招き、反対派に擁立されたボニファティウス6世に位を追われた。

死後も、教皇ステファヌス7世によって、墓が暴かれ、遺体がテヴェレ川に流されている。フォルモススの名誉が回復されたのは、教皇ロマヌスのときであり、教皇テオドルス2世のときに、テヴェレ川から遺体が引き揚げられ、バチカンに葬られた。

また、熱心に布教活動を行い、ブルガール人をキリスト教に改宗させた。