もやっとする正論の正体 part1 | 難儀な人々

難儀な人々

発達障害・精神障害を持つ方々の支援員やらせてもらってます。
このブログは難儀な人を見極め、どうやったらトラブルを最小限に抑えられるか?
「難儀な人」っぽく生まれてしまったら、どうすれば平穏に生きられるか?を模索しています。

正論すぎて反論できない。

正しいのに何故、自分は納得しないのだろう?何かもやっとして腑におちない・・・。

とある疑問を抱えて50歳を過ぎてしまったある日、

私のもやもや感を解明してくれる方がいて、やっと腑に落ちたことがありました。

 

相談に対し、誰でも一度は聞いたことのある、あの答えをみなさんはどう思うのだろうか?

 

「世の中の幸せは相対的なもの。世の中にはもっと不幸な人がいるから」と。

 

Youtubeでとある方が、私たちはいろいろな逃げ道があることを提示して、

「命令に背けない、命をかけて突撃しなければならない理不尽な時代の境遇よりは断然幸せ」「どうにもならない飢餓で苦しんでいる人とくらべればそう大したことない」と。

 

それを聞いて、まぁそうなんだけどなぁ。

理屈としてはめっちゃ正しいんだけど、すっきりとは納得しない。

でもその正体がわからないので「うん、そうだね」って自分を無理やり納得させていました。

 

答えがでないまま、オカルト好きな私はYoutubeで怖い話を聞く日々を送っていました。

絵を描いたり、洗濯物を畳んだりの作業をしながら聞くのはうってつけだったのです。

Youtubeつけっぱという時もあります。

ふと住職である三木大雲さんの「怪談説法」を聞いていた時に、こんな言葉が流れました。

 

「人間が、ああ自分は不幸だなあって感じる瞬間、いろいろありますけれども、いろいろあるんですけれども、その中の一つがですね、不公平だなぁと感じた時ではないかな?私、そんな風に思うんですね。

 

例えばですけれども、私が貧乏していた時代というのは周りの方達は別に貧乏されているような時代ではなかったですし、この話をしますと、いや戦後の方がもっとしんどかったよって言われるんですけれども。

 

戦後のところはですね、まぁ隣近所みんあ一緒のような貧乏ですよね。

でも私だけが貧乏というのはやはりね、どこかに不平不満を抱いてしまったりあるいは自分は不幸なんだと思ってしまう傾向にあるんではないかと。

 

この二つのお人形さんも一つは持って帰られて、自分だけが何故、持って帰られないのか不公平だと・・・それを訴えてたんじゃないかと、そう思うわけですね。(中略)不公平感がでるとですね、そこになんとなく自分が損した。自分は不幸ではないかなぁと感じてしまう傾向にあるように思うんですね。」

 

これを聞いて、自分のもやもや感の正体がわかったのです。

(つづく)  ←えー?つづくんかい