262日目 「城と町」 | USKの旅日記

USKの旅日記

26歳からの青春の記憶


2014.10.14
萩市(山口)→阿部町(山口)


談話で少しだべって、昼前に出発。マスターがパキスタンのゲイの見分け方おしえてくれた(笑)Iくん大絶賛の『黒子のバスケ』よんでみよ(^^)

昨日はFBやLINEで沢山の人から誕生日メッセージ貰って、祝ってもらって嬉しかった。皆さん、ありがとうございました!!( ´▽`)✧


外は少し風があるものの雨は止んでた。マスター、またねー!\(^^)


萩城跡へ

築城は毛利輝元。143mの指月山山頂と、山麓に城郭を構える平山城。内堀を渡って、本丸跡。天守閣はなく、石垣のみ。立派な城下町があるのに城がないのは残念。

台風の直後だから枝や葉でとっ散らかり、荒れてた。清掃員の方が仕事中。お疲れ様です(_ _)












厚狭毛利家萩屋敷長屋

51.4mあるという長い家。




萩博物館

印象に残ったのは、萩の町が古地図のまま残ってるってこと!幕末、明治維新を経て屋敷そのものは消滅したが、都市区画はほとんど変わってない。3ヶ所のエリアが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されてる。ガードレールや商業施設の看板は景観に配慮された色になってて、電線も埋設されてる所も多い。



幕末の激動期、13代藩主毛利敬親が山口に移ったことにより、重臣たちも山口に移り、更に明治維新による幕藩体制の崩壊で広大な武家屋敷を維持するのが困難になった。家主を失った屋敷は徐々に荒廃し、消滅した。

しかし旧萩藩士小幡高政の奨励で、荒廃した屋敷内で夏みかんの栽培されるようになり、これが昭和30年頃まで盛んに行われた。このお陰で広大な都市空間を近代化に伴う開発の波から守ることができた。面白いね(^^)

今は夏みかんに代わって甘夏が植えられてるところが多い。





晋作くん



リュウグウノツカイ(☆д☆)





昔のポンプ車




上級武士の居住エリアだった場所



鍵曲がり

敵の侵入や攻撃に備えるため、高い土塀で囲まれた見通しのきかない鍵手形の道路。



萩城三の丸にある3つの総門の一。門番が常駐し、出入りするものを厳しくチェックした。




萩反射炉

欧米列強に対する危機感から、旧来の大砲に代わる鉄製の洋式大砲をつくるために導入した金属溶解炉。世界遺産登録を目指してる。



恵美須ヶ鼻造船所跡

西洋の脅威から日本を守るため、大型の洋式軍艦を造る必要に迫られ、建造された造船所の遺構。






いざ!出雲!





天気:曇り時々晴れ
走行距離:32.0km
道の駅テント泊