131日目 「山田町→釜石市」 | USKの旅日記

USKの旅日記

26歳からの青春の記憶


2013.11.27
山田町(岩手)→釜石市(岩手)

 

穏やかな海。





大槌町に入る。


ぱっと見、かなり片付けられてるけど、2年半以上経つ今でも、手つかずのところは生々しかった。


主の居なくなった建物は、急速に錆び、傾き、老いて、沈黙し、佇んでいた。


『もののけ姫』のラスト、戦で荒廃した土地が、植物たちの新たな芽吹きによって「リセット」されてくように、目の前に広がるの風景もまた、人の手が入ってないとこはあからさまに自然に還ろうとしていた。

人が住むっていうのは、自然と向き合い、ある意味で抗い続ける行為なんだなーと思った。



仮設コンビニ。





一度国道を外れ、市街地へ。







あちこちで重機が働いてる。

復興の大号令のもと、一生懸命汗を流す彼らを見てると、俺は俺自身の境遇と照らして申し訳なくなってくる。

なるべく邪魔にならないように、目につかないようにこそこそしてしまう。「気楽でいいよな」って言われてるような気がするから。イライラさせてるように感じるから。


まだまだ荒地が広がってる山田、大槌ではピリピリした空気が町を包んでる印象を受けた。


だからってわけじゃないけど、店でパン買った。今できることしかできない。それでいいよね。





旧大槌町役場

壊れた時計の針のように震災から時が止まってるよう。変わったのは、献花台のとこに仏様が来たことか。







大槌町の風景は、震災後、来る度に変わってきてると思う。

でも、受けた傷があまりに大きすぎて、まだまだ治癒に時間がかかりそう。少しずつ確実に回復はしてる。











釜石へ。

市街は所々倒壊した建物はあるものの、表面的にはかなり回復してるようにみえる。







JR釜石駅

ロータリーには、井上ひさし作詞の『ひょっこりひょうたんじま』の歌碑。縁の人らしい。

そういえば時報で流れてた。
 




釜石市郷土資料館

幕末に、大島高任って人(ロータリーに像あった)が日本で初めて鉄鉱石の出銑に成功して橋野高炉ができ、それから製鉄業が発展したんだとか。

鉄のまちだから第二次大戦では艦砲射撃の的になって壊滅的な被害を受けたんだって。








釜石湾にある湾口防波堤は、30年以上の歳月と1200億かけてつくられた世界最大級の耐震設計の防波堤で、ギネスに認定されてるらしい。

この防波堤は、大震災での津波の浸水を、ない場合と比べて6分遅らせたとか。



寝る前に一杯。

タクシーの運ちゃんに聞いて目星を付けといた店へ。

「釜石はまゆり商店街」は、釜石、陸前高田、大船渡で営業してた飲食店が集合してる復興商店街。







「とんぼ」に入る。混んでると聞いてきたけど、店には俺ひとりだった。


「いらっしゃい。」

カウンターの後ろには赤霧やら三岳、いいちこなどボトルがぎっしり。その前でママが微笑んでる。テレビがニュース流してる。


白いカウンター端の暖房のそばに座ってとりあえずビールを注文。



先付けに「どんこのなめろう」が出てきた。

エゾイソアイナメの身と肝を、味噌、キザミネギと一緒に叩いたもの。

ここらへんのスーパーでよく見る、この黒くてヌメっとして少しグロテスクな魚に興味があったから、ここで会えてちょっと感動。


なめろうは元々大好きだし、これは肝とあえるからコクもあってすごく旨い。地酒「浜千鳥」との相性も◎。



料理も次々出てくる。


口の中で甘味がひろがる鮪、脂の乗ったカジキ、シコシコツルツルのスルメイカの刺身三点盛。

昆布と帆立の煮付け、ほうれん草とモヤシのおひたし、名前忘れたけど白身焼魚、、


どれも手作りのやさしい味(^^)



滅多にお目にかかれない、ママ特製のだし巻き玉子も、となりに座ったお客さんに奢っていただいた。


閉店まで、ママや地元の方たちと愉快な酒((^^))







天気:晴れ
走行距離:31.2km
駅近テント泊