最近、社内外で色んな人と話す機会があって、
HATARAKU SUMMER SCHOOL は何でやろうと思ったの?何のためにやるの?」
という質問が多いので、僕がそこに至るまでの経緯をまとめてみようと思う。

僕は福岡で生まれた。
大学まで福岡で過ごした。就職と同時にご多分に漏れず東京に出た。「仕事するならやっぱり東京」。11年間働いた。転職もした。

今の会社に勤め、大手企業をクライントに持ち、新卒採用の担当をした。クライントのためになる仕事もできたと思う。大きな仕事もした。結果も出した。社内で一番になろうと決めて一番にもなった。
けれどずっと疑問があった。

ー自分の仕事は、日本の将来のためになることに、本当に繋がっているのだろうか?ー

高度経済成長期は終わっている。それに合わせた素晴らしいシステムが終身雇用と新卒一括採用だったのだから、このシステムも少しずつ変わっていく必要があるのだろう。

糸井重里氏が、ホンダ創業者の本田宗一郎氏の言葉を引用している。
『好むと好まざるとに関わらず』時代は変化していくのだから、環境の変化を受け入れようよ、と。

大手企業の新卒採用は社会に影響力がある。だからこそ日本の将来を見据えて、従来の採用方法を共に変えていければ、という思いがあった。けれどクライアントにはクライアントの意向もある。一般的には結局、旧来型の考え方を踏襲する場合が多い。

ークライアントのためになる仕事はしているが、日本の将来のためになる仕事になっていないのではないか?ー

先日会った大学生3年生は刺激を求めて、マレーシアのとあるシンポジウムへ行ったそうだ。そこでギャップイヤーを利用して様々な経験を積みながら、自分の核を探している海外の若者にたくさん出会い、彼は日本の就活システムに疑問を感じるようになったという。彼は海外での就職も考えていた。素晴らしい経験をしていると思った。

最近、学生と会話していて思うのだけど、社会に組み込まれる前の彼らの方が、社会をフラットにナチュラルに俯瞰して見ることができていると思う。

しかし一方でこうも感じた。優秀な若者が、日本の旧来型のシステムの中では活躍できないと感じ、海外に流出していっているのだな、と。

高度経済成長期であれば、東京一極集中、一つの価値観でよかった。とにかく東京にたくさんの仕事が集まってくる。その与えられた宿題を会社のみんなで一致団結して100点、120点とっていこうよ!と。そうすれば幸せな社会になるよ、と。

けれど今は、地域から東京に人がどんどん集まってきても、東京には思ったほど仕事がない状態となっている。誤解を恐れずに言うと、既に東京では、二軍、三軍、四軍、で球拾い的な仕事をしている人は多いと思う。でも何も疑問を感じず働いている人もいるのではいないか。

近い将来、東京は人口の過密化が起こるだろう。じゃあその時どうするのか?地元の地域に帰るのか?その地域に帰って仕事があるの?その地域に帰って生き生きと暮らせるの?
地元には帰れない。やりがいのある仕事はない。じゃあ海外に行くのか?中国?インド?どこに行く?日本はどうなるの?日本沈没?

そこで、地域の一つひとつを変えていくことこそが、日本全体の将来を変えていくことに繋がっていくのではないか、と僕は考えるようになっていった。

地域も東京のように栄えよう!ということではない。それこそ東京一極集中、一つの価値観の考え方の延長になってしまう。イタリアなら、首都のローマ以外にも、ミラノはファッション、ヴェネツィアは商人、というように。日本もそれぞれの地域ならではの歴史があり、そこならではの賑わいというものがあるはずだ。

では自分に何ができるのか? を考えた。
僕は福岡で生まれた。福岡に戻ろう。福岡でやってみよう。

(次の記事につづく…>>)