アジア選手権2012UAE | 小宮山友祐オフィシャルブログ「この道の先に~」Powered by Ameba

アジア選手権2012UAE

アジア選手権2012UAEの日本代表のメンバーに選出されました。

Fリーグ公式サイト


ワールドカップのアジア予選を兼ねたこの大会はとても大事な大会になる。

フットサル界にとってもこの大会でワールドカップへの出場権をとることは大きな意味を持ってくる。

日本中のすべての選手の為にも、フットサルに関わるすべての人達の為にも自分が代表選手という自覚と誇り、そして何よりも日の丸の重みを感じながら必死でプレーしていきたいと思います。

すべての人達の期待と応援に応えられるように頑張ります。


今回で俺自身6回目のアジア選手権。

たぶんだが、選手として今回が最後のアジア選手権になると思う。


この大会は特別な大会。



自分にとって目標であり、ゴールでもあり、そしてまたスタートでもあった。




代表に入ることや代表で試合に出ることが目標だった、2005年ベトナム大会。



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(2005年ベトナム大会日本代表)


2次予選で初めてイランを倒した時のあの興奮は未だに忘れたことはない。



そして、決勝で同じイランに0-2で負けた時の悔しさも。



初めて出場したアジア選手権。日程の過酷さとベトナムの暑さ。



ほぼ毎日が試合の中で負けられないプレッシャーとの戦い。



代表での初ゴールを決めたり、試合に出れることに喜びを感じたり、1プレー1プレーの難しさなど、色々な思いがあった大会だった。



そして、今思うと代表に定着できるきっかけにもなった大会だった。




初優勝した、2006年ウズベキスタン大会。


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(2006ウズベキスタン大会表彰式後)


代表になって初めてスタメンという大きな役割を与えられた大会だった。



この大会はまだ教員として働いていた時。



教員として働きながら、代表でのプレーは本当に多くの人に支えてもらい、そして協力してもらえたからこそ出来たものだった。



何としても目指すべきゴールはアジア選手権優勝だった。



準決勝でイランを倒し、決勝で開催国ウズベキスタンを倒し、初優勝。



あの時の感動と興奮はたぶん生涯忘れることのないものだと思う。



過去のアジア選手権の中で初めてイラン以外の国が優勝した歴史的大会だった。



チームの雰囲気が今までの代表とは全く違っていた。



一言で表現するならば「一体感」。



文字通りチーム全員が一体となった大会だった。



監督、フィジカルコーチ、通訳、トレーナー、ドクター、総務、選手、そしてサポーターが一体となっていた。



とにかく熱かった。準決勝のイラン戦からみんなガッツポーズの連続だった。



シュートブロックしたら、クリアーしたら、スライディングしたら、とにかく吼えていた。



俺は吼えすぎて怒られたこともあったけど。



みんながみんな。ベンチ入り出来ずにスタンドにいた選手も。



ビデオをとっていた総務の方も。



代表に入って初めて総務の方から宿舎で「このDVDを観てみろ」って渡されたアイスホッケーの映画のDVD。



アイスホッケーのアメリカ代表が当時最強と言われた旧ソ連代表を倒すという実話に基づいた映画。



半端なかった。めちゃくちゃ熱かった。



当時同部屋だった石渡くん(元町田)と感動して泣きそうになりながら観ていた。



ホテルからの出発前にホテルの玄関前でダンス甲子園ならぬ、ダンス大会が毎回恒例だった。



毎回、2、3人は必ず踊った。



全員踊ったんじゃないかな。絶対に踊らなそうな川ちゃんや石渡くんも踊っていた。



俺と健介は漫才をやらされたりもした。



しかも、現サッカー協会会長の小倉さんやFリーグCOOの大仁さんの前で。



冷や汗をかきながら。



優勝した後はウズベキスタンの日本大使館で大使の前でもやらされそうになった。



オンとオフの切り替えがとても上手なチームだった。



やる時はやる。抜くときは抜く。



フットサルも、フットサル以外でも、その一体感が優勝のなによりの原動力だったと思う。



そして、アジア選手権で優勝したことが、ゴールではなくスタートに変わった。



アジアで優勝したことで世界を目指そうという気持ちが強くなった。



教員を辞めてFリーグの舞台に挑戦しようと決意したのもこの大会だった。



大きな転機となった大会。一生忘れることのない大会となった。





初の自国開催となった2007年の大阪大会。



この大会は連覇と初の自国開催ということもあり、優勝への期待、周囲の注目が高かった。



その為、見えないプレッシャーが大きかった。



なんとなくピリピリしている雰囲気だった。



昨年の優勝時とはメンバーも変わり、雰囲気も変わった。一体感はちょっと薄れた気がした。



その特徴が食事の時だった。



大体、食事の時は健太くんやグレが中心になって楽しくガヤガヤしていた。



特に夕食は一日のスケジュールを終え、みんなリラックスしながら食事をする。



楽しい中に試合の話をしたり、真剣にプレーの話をしたり、聞いたりというのが特徴だった。



しかし、この時は何となく食事の時間でリラックスできなかった。



緊張感と使命感のようなものが選手を追い込んでいたのかもしれない。



もう少し、リラックスして肩の力を普段から抜くことが出来たら違った大会になったかもしれない。



結果は決勝でイランに負け。準優勝。



ホーム大阪で優勝したイランのウイニングランを目の前で見たときは心底悔しさが込み上げてきたのを良く覚えている。



屈辱以外の何物でもなかった。





ワールドカップブラジル大会の予選を兼ねた2008年タイ大会。



ベスト4に入ればワールドカップの出場権が得られるこの大会はまさに死闘だった。



予選リーグから厳しい試合が続き、予選最終戦のオーストラリアには0-2でリードされる試合展開。



そこから逆転して勝利し、準々決勝キルギスタン戦へと。



バンコクの暑さと蒸し風呂のような湿度の中での連戦は選手達の体力を奪っていった。



疲労からかグレとスズくんが高熱を出し病院へ運ばれた。また、俺も部屋で高熱を出し苦しみもがいていた。



疲労から誰もが万全のコンディションではなかったと思う。



それでも勝たなければならなかった。



準々決勝は前半にリードすることができ、試合を有利に進めることが出来たが、キルギスタンは後半頭からずっとパワープレーを敢行してきた。



同点に追いつかれることなく、勝利することが出来たが、パワープレーのディフェンスでヘトヘトだった。



ベスト4に進出。これでワールドカップへの出場権はとったが、目標は優勝だった。



そして、忘れもしない準決勝イラン戦。



0-1の敗戦。



その唯一の失点は前半残り3秒。俺のパスがイランのエースシャムサイ―に当たってゴールに吸い込まれた。



崩されたわけでも、抜かれたわけでもなく、当たって入ってしまった。それで負けた。



本当にチームのみんなにも、応援してくれたすべての人にも申し訳ない気持ちで一杯だった。



1点の重みを1発勝負の怖さを改めて実感した試合だった。



そして、みんなのやさしさを感じた試合でもあった。



選手のみんなは「負けたのはお前のせいじゃない」って何度も言ってくれた。



健太くんやユウキくん、オノッチは部屋にも来てくれて励ましてくれた。



特にあの時、健太くんに言われた言葉にとても救われた。



普段、俺にはめちゃくちゃ厳しい同部屋だったあのグレも「点をとれなかった俺に責任がある」とボソッと一言。



グレの一言で3位決定戦は絶対にチームの為に何かをするんだと。やってやるって気持ちになった。



また、メディアの方も俺に気をつかってくれたのを覚えている。



わざわざタイにまで取材に来たのに、俺に質問したそうなのに、聞くに聞けないといった感じだった。



それが、良いか悪いかは別にして。



同じ日本人として、聞きにくそうにしていた。



そりゃそうだ。敗戦直後に試合を決定づけるミスをした選手に何をどう聞く。



もし、逆の立場だったらどうなんだろうって。俺だったら聞けないなって思った。



だから、自分から言いました。「俺のミスで負けました。優勝という目標を達成出来なくて残念です。応援してくれた皆さんに申し訳ないです」と。



それ以上、突っ込んで質問をするメディアの方はいなかった。もっと突っ込んでくれて良かったのに。



それが彼らは仕事なのに。



知り合いの記者が言ってくれた言葉が「僕たちも記者の前に日本のサポーターです。日本に勝って欲しかった。日本を心から応援していました。」



涙がこみ上げて来た。



戦っているのは当たり前だけど選手だけではない。



みんなが応援してくれているんだと実感し、本当にそうい想いを大切にしないといけないんだと。



サッポJAPANにとって最後のアジア選手権は3位で終えた。



その後ワールドカップを戦い、サッポJAPANは終わりを迎えた。



サッポ監督がいなかったら今の俺はいないと思うし、今も代表にいられることはなかったと思う。



サッポJAPANはメンバーが変わらないとか、戦術があまりないとか賛否両論色々とあったが、俺はアジアでの勝ち方を知っていたチームであり、勝利への執念、勝者のメンタリティーがとても充実していたチームだったと思う。



勝つことが全ての代表チームで勝つことに貪欲だった監督、選手が集まった集団だった。



なぜなら、サッポJAPANはアジアでイラン以外には一度も負けたことはないから。



アジアでは唯一のライバルがイランであり、越えなければいけない壁がイラン。



アジアで唯一、イランに勝ったのも日本だけ。



イランと日本の関係はそういうライバル関係であり、それは今後も続いていくと思ったが・・・




2010年、ミゲル新監督になり新たに生まれ変わった代表チームが初めて臨んだアジア選手権ウズベキスタン大会。


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(2010年ウズベキスタン大会日本代表)


直前にスペイン遠征でスペインの強豪クラブやスペイン代表とも良い試合をして、自信を持ってウズベキスタンに乗り込んだ。



新たな戦術、組織プレー、セットプレーの数も増え、新たな選手、新たな武器を持って臨んだアジア選手権は

予選を3戦全勝で抜け、準々決勝も勝ち、順当に準決勝に駒を進めた。



準決勝の相手はイラン。



結果は0-7の大敗だった。



ここまでの差はなかったと正直思う。



日本も新たな選手が増えた同様にイランも新たな選手が増えた。



個の力の差はそこまでなかったと思う。



しかし、ここまでの点差となった。



これでアジアでの日本とイランのライバル関係は崩れた。



どうしてここまでの差になったのか。



色々な要因が上げられるが、大きな要因を一つ上げるとすれば経験だった。



絶対的にアジア選手権を勝ち抜いていく経験が足りなかった。



初めてアジア選手権を戦う選手が半数以上を占めていたチームは脆かった。



アジア選手権を経験したことのある選手は川ちゃんとグレと俺、それに健介の4人だけ。



アジア選手権で必要なのはプレーのコントロールではなく、メンタルのコントロール。



これはアジア選手権だけでなく、日本代表の活動すべてに必要なことなのかもしれないが。



ピッチ内のことより、ピッチ外のことの方が大事だと言うこと。



ピッチ外のメンタルの持ち方がとても大事でそれがピッチ内にとても大きく影響する。



アジア選手権だけでなく、日本代表の活動は主に海外が多い。



日本と文化の違う国で生活をしながら試合をする。



まず生活に慣れるのに時間が掛かるし、気づかないストレスは多い。時差や食事、練習会場、試合会場、雰囲気などなど。



違うものなど多々ある。



そして、集団生活。



いくら、信頼する仲間とは言え、毎日顔を合わせ、ご飯を食べるのも、何をするにしても全員で同じことをするのはだんだん辛くなる。



集団生活をする上で必要なのは規則と規律。そして、コミュニケーション。



当たり前のことかもしれないが、これが長期の遠征や大会になるととても大事になる。



また、同部屋の人間を気にしているうちは部屋でリラックスすることも出来ない。



規則や規律に関して言えば、守れなかった人が出た場合、守れなかった人より、ちゃんと守っている人の方がケアが必要。



なぜ、自分はちゃんとやっているのにあいつは出来ないんだと思う人の方がイライラしやすい。



ましてや日本代表という選ばれたグループの中でそういうことが起きることへの幻滅と不満は一度生まれるといくらプレーで良いプレーをしたとしても消えることはない。



そこが日本人の集団の難しいところなのかもしれない。



まず、日常生活が充実して何のストレスもない状況でないと良いプレーは難しい。



そして、代表で良いプレーをするのは本当に難しいこと。



相手も代表だから、当たり前だが強い。強い相手に自分のプレーが出来る時もあれば出来ない時もある。



俺の経験上出来ないことの方が多い。



そして、出場時間。クラブでは長い時間出ることの出来る選手も代表では少しの時間しか出れない時もある。



クラブと同じように長時間出て、良いプレーを毎試合するのは本当に難しい。



だから、良いプレーが出来なかった時、短い時間しか出れなかった時、当然選手は悔しいし、もっと出たいなって気持ちに誰もがなると思う。



そういう気持ちは顔や態度に出る。出やすい選手は誰が見てもストレス溜まっているな。イライラしているなってのが分かる。



大事なのはそういう時に周囲にどういう振る舞いをするかだと思う。



日常生活でも、ピッチの上でも。



プレーもうまくいかない、日常生活もイライラする。そういう選手は終始気持ちの落ち着く時がないから遠征期間中、大会期間中ずっとイライラする。



負のスパイラルに落ちいる。そういう選手を何人も見てきた。



だから、大事なのはそういう時にどうコミュニケーションをとるか、息抜きを出来るかだと思う。



もちろん、試合には出たい、活躍したい、点とりたい、勝ちたい、それぞれの思惑は多々あると思う。



でも、代表チームに必要なのは最後の「勝ちたい」という想いだけ。



その想いは別に自分が出ようが出まいが「勝つ」為に何が出来るのか。



自己犠牲の心が必要になってくる。



それが話を戻すと2010年のミゲルJAPANには足りなかったような気がした。



チームが大きく2つに分かれてしまっていたようだった。



それにはグレや俺といったキャプテンに責任があったのかもしれない。



あとはアジアのチームとの戦い方。



アジア選手権は2010年から2年に1度の大会となった。



毎年やっていた頃とは違い、アジアの国と試合をする機会が減った。



そしてアジアの国々の戦力は未知数になりつつある。



例えば知らない選手が増えたり、中東の国々ではブラジル人を帰化させたりしている。



アジア慣れをしていないという所がある。



ミゲルJAPANになって毎年中国遠征をし、イランと中国とは毎年試合をしている。



つい先日もイランと中国とガチンコ勝負をした。



イランには引き分け、中国には負けた。



アジアの勢力図も大きく変わりつつある。



そんな中でも日本はアジア選手権で優勝出来る力があると思う。



2012年UAE大会は冒頭でも述べた通り、ワールドカップの出場権をかけた戦い。



どこの国も行きたいという想いは強い。



それは日本も同じ。



大切なのはどれだけ自然体でチームが一体となれるかだと思う。



ミゲル監督は常々、「真剣さの中にあっても笑顔を忘れるな」と言われている。



それはつまり、そういうことなのだと思う。


同じ失敗をしないように。



チームが一体感を持って全試合を戦い、日本に優勝カップを持って帰ってこれるように。



そして、イランの最大のライバルとしてもう一度立ちはだかれるように。



全力で戦ってきたいと思います。



明日から名古屋で合宿です。



良い準備をして本大会に臨めるように頑張ってきます。