雨宿りは
嫌いじゃないです。

ひとりで雨宿りするなら、
マイペースになり、これからのスケジュールを
立て直す時間を作ります。

友人や他人と一緒に雨宿りするときは、
話し相手がいるので、
雨の音を聴きつつ
世間話などをして会話してるうちに
気がつくと雨が上がってることがあります。


大学生だったころに
南インドを旅してて
ちょうど雨季だったので、
急に雨が降ってくるので、
よく雨宿りをしたのを思い出してました。



このような小屋だったり

小さなお店で雨宿りすると

話しかけてもらえて、世間話でもして

赤の他人とでも仲良くなれます。


同じ状況下にいるからですね。



話は現在になりますが、

昨日、友達とウォーキングをしていたら

やはり急に土砂降りで

近くにあった小屋に逃げ込みました。


そしたら、

私達以外にも雨宿りというか

もともと座っていたと思われるご老人と

一緒になりました。



何歳に見える?と

尋ねてきたので、

適当に失礼のないように、80ですか、と

答えましたが、


97歳ということでした。


近くまで自転車に乗ってきたみたいです。

今頃自転車びしょびしょだろうなあと

呟いていました。

3キロくらいの道のりを来たそうで、

只者ではない風格ですよね。


まず、自転車に現役で、しかも3キロ

坂道もあるだろうし

乗ってきたというのは置いといて


目の色が違う、

今までの苦労を重ねたような腕のシミ

声色の独特さ


只者ではなかったです。



さらに話をしてくれました。


二十歳のときに特攻隊で

出発したが、途中で

飛行機のエンジンが故障して

砂浜に不時着したという話でした。


そのときは、とても恥ずかしかったと

語っていました。


軍の仲間が助けに来てくれて

本土に戻ったみたいです。


今でさえ、

当時のエンジンの故障で

失敗した記憶は納得していない様子で


生還できたのは良かったのではなどと

単純なことではないなと思いました。


目の前で敵艦にぶつかっていった

仲間のことをその目で見たのですからね。


今年で98歳、

確かに計算すると二十歳のときに

1945年、太平洋戦争末期

だったのが分かります。

本物の話を聞くことができました。



雨が上がって

風のように去っていった

名前も知らない

ただ言葉を残していった、その方のことは

忘れることができないですね。



もう会うこともなさそうで

少し寂しい気持ちもあります。


私自身、今日生きられているのは

絶対に運があるからだなと

ずっと考えていました。



明日はないよと、

今日まで運良く生きてこれたのですから。

この運を無駄にしないようにしたいです。