私はシカゴ芸術大学の音楽学部を卒業して大学院を1年目で中退した。もう、ここですることはないと悟ったからだ。もう、やるせなさ満載の日々でした。
帰国を決めた頃、パーティー来いよと友達に誘われて行ってみたら…みんな和気あいあい…まぁ 飲んだくれて騒ぎまくるわけ。
あんな大学クソッタレだーチキショー!って、みんなで叫んでね。
私がアメリカ留学を決めたのは「自分らしい音楽が奏でられる音楽家になりたい」からだった。
もうね、高校時代の自分が心底イヤでした。音大受験で音楽を学べるのは楽しかったけど…受験で格付けされる感じがイヤでイヤで。自分は自分だし、とひねくれて日本にいるのがイヤになりました。
比べられるの、とにかくイヤなんですよ。
当時の先生からは「さすがに〇〇を現役で入るのは無理だけど〇△〇や△△なら入れるんだから、わざわざアメリカじゃなくてもいいだろう?」って言われて…それ説得のつもり…?
もうね、オレ決めたんだから気持ちは変わりませんよ。劣等生で、すいませんでしたねぇ…別にそうは思ってなかったかもしれないけど…そこは確認はできてません。
その先生の管轄から完全にアウトロー、これがなんと開放感…シカゴに渡り先生のもとクラリネットを学び、ひたすらいろんな音源を聴きあさり勉強した。いろんな授業とにかく楽しかった。音楽学部というくらいだから勉強する場所なんだ。
いまレッスンや指導の仕事できるのは、あの頃の勉強ともろもろの経験が活かされていると信じたい…コロナ渦でめっきり仕事壊滅的ですが。
まぁ、いろいろあったけどアメリカで学んだことは私の宝物で…決して優等生ではなかったけど…プライスレスな宝物です。私は決してダメ人間ではありません。
こんな私を受け入れてくれた大学とアメリカという国にはとても感謝している。さすが多様性の国。
あぁ、貧乏だけどまた明日から頑張ろうかいねぇ。