絶対に絶対に忘れない記憶がある。


それは幼いころ、テレビで見た『首長族』という民族です。どんな内容だったかは覚えていないけれど、あのとき見た首長族は鮮明に覚えています。


首長族はタイやミャンマーの山間部に住む民族です。首につけた輪っかが象徴的ですね。


そのときから脳裏にはいつも首長族がチラつくようになりました。首がすらっと美しい女性には勝手に首長と言うあだ名をつけて悦にひたる毎日。


『首長族に会いたい』


どうしたら会えるのか分からない僕はタイに詳しい長老を訪ねました。


長老はこんな話をしてくれました。


「タイと言う国は昔はシャムと言ってな。いくつもの川に囲まれ東洋のベネチアと呼ばれておった。昔から日本人も多く住んでおる。有名なのは山田長政だ。彼は日本人街を作るなど活躍したんじゃ。遠藤周作の『王国への道』と言う小説があるから読んでみぃ。」


そして、最後にこう付け加えた。


「いいか、小僧。ナナには近づくな。」


結局、首長族については聞くことができなかった。長老の知識もあてにならない。年長者なら何でも知っているなんて嘘だ。自分で見つけるしかないのだ。


しかし、ナナと言う言葉が気になった。ナナ?タイ語なのか日本語なのか?それすらも分からない。思い浮かぶのは同級生の「菜々」の顔だ。反吐がでるぜ。


数年たったとき長老が死んだ。


そう聞かされたのは首長族の居場所が特定できたあとだった。もう、長老のことなど頭の隅にもなく、記憶からも抹消されていた。覚えているのはナナだけだ。


だから、葬式にもでなかった。酷いと思うかもしれないが、人生には優先しないと行けないこともある。それが死だったとしても、そうこの世は残酷なのだ。


成田空港からタイに向かう。しかし、飛行機と言うものは何でこんなに恐いのだろう。初めて乗るときは感じなかったのに、乗れば乗るほど恐怖が増す。


でも、この恐怖を乗り越えなければ、念願の首長族には会えないのだ。タイまでの6時間。前の座席を握りしめ続けたためか、降りるときにすごい形相で睨まれてしまった。許せ。




スワンナプーム国際空港から市街地に出るにはタクシーと電車があるが、この時間にはタクシーしかない。


タクシー乗り場に来てみると何だか薄暗くて怖い。しかし、車体は比較的綺麗でやはり国際線ターミナルは違うと思った。前の人がタクシーを見届けると目を疑った。


そこにいたのは、スカイラインのシャコタンだ。おまけにサブウーハーが鳴り響いている。なぜだ?みんなキレイで会社のロゴが入ったタクシーだったじゃないか?


係員を見るとゆっくりと頷く。「そうだよ、君。君はこれに乗るんだ」と聞こえてきた気がした。



車内ではタイ語訛りのきつい英語が鳴り響く。何を言っているか分からないので、予約していたホテルの名を告げる。


「OK.&&);)¥&&&)(;(


ホテルに着き、ボーイに部屋に案内される。thankyouと言っても何故だか部屋を出て行かないボーイ。お互いニコニコと見つめあう。


そうだ、チップか。そうならそうと言えばいいのに。微笑みの国は本当に微笑みあうのかと思ってしまったじゃねえか。


首長族はタイの北部チェンマイのとなりのチェンライにいることが分かった。首都バンコクからはかなりの距離があるので自転車で向かうことにした。




ナナも見てみたいと一瞬思ったが我慢した。ナナには行くなと言われていたし、昨晩のボーイも「oh my got! it's paradise.」と言ったあと、涎を垂らしていた。


きっと天国に近い場所なのだろう。死ぬには早すぎる。




タイにはいくつもの観光地がある。有名なのは「アユタヤ」「スコータイ」などの遺跡だ。



(アユタヤ遺跡)

せっかくなので、駅に自転車を停めてから散策することにした。











ボロボロの遺跡、ゾウさん。非現実的な世界にどっぷりと浸かる。


奥まで進むと何故だか懐かしい気持ちになる場所に行き着いた。



思い出すことは出来ない。でも、確かに記憶にある光景。


先を急ごう。


次に訪れたのはピッサヌロークと呼ばれる場所だ。自転車を停めたのは大きな大仏の前。








どうやらこのお寺はタイでも有名なようだ。人がひっきりなしに出入りしている。が、時間がないので糞甘いコーヒーを飲みながら休憩する。




ガーフェーと呼ばれる甘いコーヒー。練乳がたっぷり入っている。




ピッサヌロークの近くにはスコータイと言う町がある。


せっかくなので、自転車を走らせ遺跡に向かう。



※疲れたので続く。