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それから5日ほどして、僕は殴られた傷の治療のため、入院していた病院を抜け出して、ある映画撮影の現場にいた。それは僕が通う映画監督になるためのワークショップの授業の一環で、実際の映画の撮影現場に参加させて、プロの臨場感を体感させてやろうという意図がある・・・はずだった。僕が少し遅れて到着すると、僕と同じワークショップに参加している仲間が現場の隅で座り込んでいる。僕がみんなに、どうしたのかと聞くと、ここの連中は、誰もそんな話は聞いていないと、取り合ってくれないという。僕は現場の担当者らしい男に、我々は映画監督になるためのワークショップを受講している者で、今日ここの現場を手伝わせてもらえるというので来た、と話した。だが、男は聞いていない、邪魔だとしかいわない。僕は近くの公衆電話から、ワークショップの担当者に連絡をしてみた。呼び出し音は鳴るのだが、誰も出ない。仕方なくみんなの元に戻ってみると、みんなは明日地球が滅ぶみたいな顔で困りはて、中には泣いている者までいた。「僕の映画人生は終わりだ」とか言っている奴もいた。・・・まだ始まってないよね。僕はまた担当者のところまでいき、今度は邪魔しないから見学させてほしい、とお願いした。スタッフは皆、うざがってはいた。しかし、年老いた照明技師の男が、明かりの後ろにいるなら見学していい、と許してくれた。僕はそれだけでも今日来た価値はあると思い、みんなに伝えに戻った。しかしみんなはなぜかだるそうに起き上がり、なんだ、見るだけかよ、と零した。
「俺の映画人生って、こんなんじゃあなかったんだけどな」
・・・だから、始まってないって。
やがて映画の撮影が始まり、スタッフに分かりやすい緊張感が走った。僕はずっと監督のすることを眼で追っていた。監督は何もせず、ただお菓子をほおばり、モニターを眺めているだけだった。
「よ~い!」
監督が声を掛ける。カメラが回りだして、俳優の顔が変わる。
「アクション!」
さぁ、ここからだぞ、という時この瞬間から、僕は記憶が無い。アマゾンの熱帯魚の密輸業者と間違えられて、あの2人組にやられた傷口が開いていたのはわかっていたが、耐えられると思った。だが、僕の鍛え抜かれていない体はやわだった。そのまま失神していたらしい。でも僕の後々の自慢は、失神して倒れても、ライトの前には倒れなかったということだ。なんか駄目だけどね。
気がつくと僕は病院のベッドの上にいた。ユンさんが運んでくれたそうだ。暗い病室の窓から、香港の街並が見えた。手の届きそうな空を大きな雲が素早く流れ、過ぎていく。
数週間が経って、寝たきりだった僕はようやく歩けるようになった。
香港の病院の屋上に上がって、空を眺めていた。
僕は日本が恋しくなり始めていた。目を閉じると浮かんでくるのは、なぜか大きな草原だった。遠い昔、母が連れて行ってくれた、どこか避暑地にある草原。緑の葉が風にそよぎ、その香りが鼻を掠めていく。遠くを歩いていく母。僕はその母を追いかけて行く。だが、母には決して追いつかない。泣きながら僕は手を差し伸べるのだが、母は笑っているだけで僕の手を掴むことはない。・・・あなたなんか生まれてこなければよかった、と泣き崩れる母。剃刀の刃を僕の喉に当てて、睨んでいた母。なぜ、そんな事ばかりが僕の脳裏に現れてくるのだろう。
母が出てきたかと思えば、今度は元彼女のミカハちゃんだ。雨の中、泣きながら、私の幸せはあなたとここで暮らすことだと言った。歩道橋で振り返り、夕焼けの空を眺めていたミカハちゃん。僕が消えるまで手を振っていた彼女。いなくなると悲しくなったと追いかけてきた彼女。・・・そして雨の中に消えていった、彼女。僕はその彼女を追いかけてはいけなかった。
僕は大きく息を吸い込んだ。どこからかあの日の草の香りがした。だがそれは側にいつの間にか立っていた、女性の香水の香りだと分かって、がっかりした。
「裕介さん?」
彼女はヤンさんといい、例のワークショップの先生から頼まれてきたのだという。
背の高い、やたら色の白い麒麟の風貌をした声の野太い女性だった。
「みなさん、あきらめて日本へ帰られました」
「え、誰もいないの?」
「はい・・・残念ながら。あなたはまだ香港にいますか?」
「僕は、」
と、言いかけて少し考えた。僕にはもう、日本に帰っても守る人も、迎えてくれる場所もなかった。
本当に全部失くしてきたのだ。
「僕は、アジアで一番の映画監督になるんだ。帰らない」
そう言った。自分に言い聞かせるように。
「それならば、私にいい考えがあります。退院したら、知り合いの映画会社の社長に会ってみますか?」
願ってもない話だった。
「いいの?」
「はい。アジアで一番になるなら、その人と会わないとなれませんよ」
と、ヤンさんは笑った。
僕はその日から退院するまで、ベッドで自分のプロフィールを書き、その日に備えた。それから、自分が日本にいる時から温めていた映画の企画書を何度も見直した。もちろんそれがすぐ実現するとは思わなかったが、自分の方向性は示せると考えたのだ。
香港に来て、1年が過ぎようとしていた。いよいよ映画の勉強ではなく、映画の製作関係者と直接会える日が来たのだ。
・・・だが、それは僕の7年半に渡るアジア漂流記の始まりを告げる出来事でしかなかった。