「狭い日常」
一つ不思議に思うことがあります。
なぜ、こうも俳優のネームバリューにしか、安心感を持てない
のかと。
例えば、Bさんという配役で話が進んでいて、それが何かの
理由で立ち止まったとします。内容は問題ではない、予算も
いい、時期も関係ない。それでBさんがスケジュールもあるので、
キャンセルになった。
そこへAさんというBさんより少し有名な人が出てきた。
すると、今まで止まっていた企画が進んだ、ということです。
誰もが知ってる人がでるなら、決まる。
企画力や、内容の面白さ、斬新さではない部分がかなり感じられます。
今の僕の狭い日常からいくら思案しても、俳優やタレントを
うならせる企画があったとしても、今度は俳優が聞きます。
「大きなテレビ局や配給は入ってますか」
少し前、韓国も日本の漫画や小説のドラマ化が多くなると書きました。
もちろんそうじゃないものもありますけど、目立つのは日本の原作
もの、または言わないけど何かのリメイクものです。
クリエイターがもっと自信を持って、自分の作品を声高に叫んでも
いいのではないんですか?
有名俳優、有名テレビ局によるオリジナル作品が、陽炎くらいにしか
存在しなくなったわけですから。
毎日シナリオと格闘する、狭い日常の中から、ふと思いました。