2008年。東京。
僕は「マイロストストーリー」の企画書とシナリオを携えて、数人の仲間共々日本に戻って
きた。
タイトルはまだこのままだったが、僕は変える気でいた。いくつか韓国で田辺さんとアイディア
を練っていたが、それも放置したままだった。
何人かの投資家と呼ばれる人たちと話した。中には僕の志に反応してくれる人もいたが、
基本的には俳優のバリュー次第だった。僕はこの時、チェさんと話し合い、何パターンかの
俳優(この作品は姉妹が主軸な話なので、女優が主軸になっていた)を候補として入れて
いた。しかし日本の人たちには馴染みがないので、よくわからないと言われた。韓流ブーム
で日本に来た俳優を使ってくれたら、と何度も言われたが、そちらの俳優こそ、僕には馴染み
がなかった。もしくは誰かが先にいくらか出せば、こちらも出すということも言われた。志は
買うが、それだけでは金に結びつかないと。僕は韓国から来た仲間と途方に暮れた。
これでは誰もが薀蓄を並べるだけで、手は汚さないということだ。その割には夜の盛り場で、
女の子のいる店に呼ばれては、彼は韓国から来た映画監督だ、といわれる。俺が面倒を
見てやると。それで女の子が盛り上がった振りをして、はい終わり。
韓国のスタッフは帰り、僕だけが日本に残った。
新しい出会いと、一緒に映画を作る仲間・・・。それだけを求めて知り合いの間を彷徨った。
街は死んでいた。
誰もがピエロの笑いを浮かべているようだ。
あの優しさや暖かさを求めた彼女は本当にいたのか。実は僕を見下すようなまなざしで、
とうてい僕と付き合う気のない、人生の元を取り返そうとしているギャンブラーだったのか。
東京の街にはこんな目をした人が大勢いる。
何かを捨てて、失望したような眼差しの人々が。
僕はそんな人を見るたびに、がんばれと思う。
がんばれ、がんばれ。
見せ掛けのハリボテが多くなった街の、蜃気楼なんて吹き消してしまえよ。
本当の君はどこにいる。
ミカハちゃん、僕は僕の日本が懐かしい。
映画の近況報告と、内容の刷り合わせのために来ていた韓国の仲間が先に帰って、
僕はまた一人で居残り、さらに知り合いを当る事になった。配給会社やテレビ局、
芸能プロダクションにまで挨拶にいった。けれども僕は行方不明になった元子供作家で、
バカな事ばかりを繰り返していた男でしかなかった。韓国で映画を作りたいなどと話をしても、
聞き入れはしなかった。次第に体調がおかしくなり始めた。血を吐いたり、足がもつれるよう
になった。腎臓の病気も悪化しはじめていた。僕は何度か病院のお世話にならなければ
ならなくなった。馴染みのホテルの従業員の人も、僕の顔色の悪さを心配してくれるように
なった。酷い時は歩けず、一日中ホテルのロビーで蹲っている事もあった。
どうしようもなくなり、僕はチェさんに電話を掛けた。
彼は韓国での投資家と交渉中だった。
「日本で仲間はみつかりましたか?」
と、チェさんは言った。
僕は答えられなかった。
「こちらも頑張ってやります。裕介も頑張りましょう。元気だして」
僕は電話を切り、ため息をついた。今、僕に共感してくれているのは同じクリエーター
しかいなかった。志は別でも構わない。僕は何か変えてやろう、もっと自分を磨いてやろう。
苦労や辛さをものともせず、夢や希望に立ち向かっていく仲間が欲しかったのだ。投資家でも
スポンサーでもお金だけじゃなく、もっと前向きな何かを共に提供していけたら、と真剣に
思っていた。僕には立場を維持する能書きにしか、彼らの言うことが聞こえなくなっていた。
・・・そして、ついに僕は最初のダウンをしてしまう。
目が覚めると病院だった。
入院した僕を心配したみんなが代わる代わるやってくる。その誰もが韓国と中国の連中
だった。最初目に入ったのは例の今や伝説になりつつある助監督のヒョッペだった。
汗が僕の顔に落ちてくる。汚いんだよ。さらにメイクのジュオンは僕が死んだと聞かされたら
しい。正装して来た。いい加減にしろよ。
体調が戻ってくると僕は、チェさんと会議をした。
なんでも日本のある企業が、この作品に予算援助をしてくれるという。そこでタイトルを
もう少しなんとかしてくれないか、という事だった。そこでようやく僕はこの「マイロストストーリー」と決別するために、いままで貯めてきたタイトル案と向き合うことにした。その中に一つ、
ほったらかしにしてあったものがあった。僕は急にそれに惹かれた。韓国語では表現しにくい
そうだが、そのタイトルに決めた。
「眠れぬ森の美女」
生まれ変わったこの作品で、僕は勝負をしてみようと決意した。
東京の街はこれから年の暮れに向かう。
一人で街を歩くたびに、行き交う人々の笑顔がなんだか悲しく見えた。
僕はあでやかな夜のネオンの中に、何かがあるかと彷徨ってみるが、今のこの場所には、
微塵も感じることができなかった。
誰もがかりそめの狂乱と乱舞と、消費と偏見の渦の中で舞い踊っていた。
その渦は今では、かがり火でしかなかった。
渋谷の通りを歩いていると、昔一緒にバラエティの仕事をしていた男が、奥さんと子供を
連れて楽しそうに歩いていた。彼は僕のすぐ横をすり抜けていったが、こちらには気が付か
なかった。僕は振り返り彼らを眺めた。ただ眺めた。
続く