これは定期的に載せる、僕の履歴書みたいなものです。本当は実名でかいてあるんですが、迷惑でしょうから
偽名にします。
アジアで一番の映画監督になるために、それまで抱えていたたくさんの
テレビやラジオ、雑誌の仕事を捨てて、さらには部屋も彼女も投げ捨てて、
単身アジアに乗り込んだのはいいが、
自分の身に起こるのは映画とはかけ離れたトラブルや事件の数々・・・。
果たして僕は映画制作に辿り着けるのだろうか?
実在の有名人、香港スター、韓国スターをも巻き込んだ
芸能生活25年の著者による、
笑いと涙と感動のノンフィクションノベル
2002年。香港。
「おい」
ぼんやりとしていた僕の頬を大きく厚い掌が叩いた。
我に返った僕が前を向くと、息の荒い大柄な男が一人、こちらを見ていた。完全に敵意のある目。その隣にはにやけた背広姿の男。大柄な男は僕のパスポートを取り出して見せた。本物か?と言っているのだ。ここは香港のワンチャイという街の僕のアパートから少し離れた、薄暗い倉庫街の一角。遠くで働く男たちの掛け声がうっすらと聞こえてくる。倉庫の中に漂うすえた油の匂いが鼻をつく。僕はなぜか熱帯魚密売の業者と間違えられて、ここに連れてこられた。そして椅子に座らされた僕の目の前の、この不思議な取り合わせの2人組は、もちろん警察ではない。
「あの大きな魚はうちが管理している」
魚・・・?なんのこと?
「お前、女人街の頬に大きなホクロがある女、知ってるだろう。・・・ほら、湯豆腐屋をしている」
「・・・あ、あぁ」
僕には身に覚えがあった。あのでかすぎるホクロの女か・・・。
少々ゲンナリした表情を見せると、
「だろうな」
えぇ~?何がぁ。
「兄貴、これくらいじゃこいつは口を割りませんよ」
暴力反対。
大柄の男は立ち上がり、僕の両足を挟むようにして立った。そしてそのまま思いきり殴った。痛い、というよりも体の中が空洞の鐘になったように痺れた。
「魚はどこだ」
「アマゾンの!魚!」
そう言いながら大柄の男はなおも僕を叩いた。口の中が腫れ上がってくるのが分かった。喉がゴロゴロといい、そして僕は血を吐いた。
「おい、汚いだろ」と、大柄の男はいい、僕から飛びのいた。
ていうか、お前の着ている偽物のマリオTシャツ、ちょっと笑える。だってそのマリオ、やたら老けてんだもん。さらに今度は背広の男が立ち上がり、代われと合図する。こちちはシャレがわからなそう。
「アマゾン!魚!」・・・もういいって。僕はそれから定期的に殴られた。意識がなくなりそうになった。吐き気が催してきた時、扉が開いて明かりが射し込んできた。見たことのあるおじさんが、駆け寄ってきて僕を抱きかかえた。
「こいつは違う。ただの観光客だ」
彼はユンさん。僕の通う映画監督になるためのワークショップで通訳をしている人。突然のユンさんの訪問に2人の男は戸惑いを隠せない。それからしばらく説明が続いた。背広の男は納得したのか、僕に握手を求めてきた。嘘、それで無かったことにしようとしてる?ユンさんは僕に、忘れなさい、と言った。僕もそれに従うしかない。ゆっくりと起き上がるとユンさんに肩を借りて、外へ出て行こうとした。すると背広の男が声を掛けてきた。
「お前、何しにここへきた」
僕は彼を見つめて心からこう言った。
「アジアで一番の映画監督になる」
大柄の男は大爆笑したが、背広の男はじっと僕を見詰めたままだった。
表に出てユンさんは笑った。
「あなた本当に問題児ね」
「いや、僕が歩くところに事件が転がってるだけだよ」
「選ばれたんだね、何かに」
・・・選ばれたくないなぁ・・・。だって僕はただ映画監督になりたくて、勉強をしに来ただけなんだけど。口から血を滴らせながら、僕はゾンビのように歩いた。魚の生臭さが漂う路地裏を、光の指すほうへ。
それから5日ほどして、僕は殴られた傷の治療のため、入院していた病院を抜け出して、ある映画撮影の現場にいた。それは僕が通う映画監督になるためのワークショップの授業の一環で、実際の映画の撮影現場に参加させて、プロの臨場感を体感させてやろうという意図がある・・・はずだった。僕が少し遅れて到着すると、僕と同じワークショップに参加している仲間が現場の隅で座り込んでいる。僕がみんなに、どうしたのかと聞くと、ここの連中は、誰もそんな話は聞いていないと、取り合ってくれないという。僕は現場の担当者らしい男に、我々は映画監督になるためのワークショップを受講している者で、今日ここの現場を手伝わせてもらえるというので来た、と話した。だが、男は聞いていない、邪魔だとしかいわない。僕は近くの公衆電話から、ワークショップの担当者に連絡をしてみた。呼び出し音は鳴るのだが、誰も出ない。仕方なくみんなの元に戻ってみると、みんなは明日地球が滅ぶみたいな顔で困りはて、中には泣いている者までいた。「僕の映画人生は終わりだ」とか言っている奴もいた。・・・まだ始まってないよね。僕はまた担当者のところまでいき、今度は邪魔しないから見学させてほしい、とお願いした。スタッフは皆、うざがってはいた。しかし、年老いた照明技師の男が、明かりの後ろにいるなら見学していい、と許してくれた。僕はそれだけでも今日来た価値はあると思い、みんなに伝えに戻った。しかしみんなはなぜかだるそうに起き上がり、なんだ、見るだけかよ、と零した。
「俺の映画人生って、こんなんじゃあなかったんだけどな」
・・・だから、始まってないって。
やがて映画の撮影が始まり、スタッフに分かりやすい緊張感が走った。僕はずっと監督のすることを眼で追っていた。監督は何もせず、ただお菓子をほおばり、モニターを眺めているだけだった。
「よ~い!」
監督が声を掛ける。カメラが回りだして、俳優の顔が変わる。
「アクション!」
さぁ、ここからだぞ、という時この瞬間から、僕は記憶が無い。アマゾンの熱帯魚の密輸業者と間違えられて、あの2人組にやられた傷口が開いていたのはわかっていたが、耐えられると思った。だが、僕の鍛え抜かれていない体はやわだった。そのまま失神していたらしい。でも僕の後々の自慢は、失神して倒れても、ライトの前には倒れなかったということだ。なんか駄目だけどね。
気がつくと僕は病院のベッドの上にいた。ユンさんが運んでくれたそうだ。暗い病室の窓から、香港の街並が見えた。手の届きそうな空を大きな雲が素早く流れ、過ぎていく。