参院選も近いという事もあり、こんな言葉を目にする。
『弱者に優しい政治』
弱者に優しい…。聞こえはいいが、果たして本当にこれは正しいのだろうか?
結論から言うと、私はこの考え方は甚だ疑問だ。なぜなら弱者に優しい、つまり弱者を無条件に救済するシステムというものは堕落を招くだけにしか思えないからだ。
もちろん例外もあろう。
何らかの障害がある人、震災で甚大な被害を被った人、要介護の高齢者…。これらは例外である。私の理屈に当てはめるつもりはない。
本当に救われるべき、報われるべきは「頑張っている者」「闘っている者」ではないだろうか。
逆に言えば
「頑張ってない者は救われるべきではない」
という事だ。
社会的弱者である理由が「怠惰なだけ」であるならば、そんな人間が何の努力もせず救われたら?
「じゃあ俺たち何でこんな必死で頑張ってんだよ!?ふざけんな!!」
そう思いはしないだろうか?
私は思う。
そう考えると、資本主義って至極フェアなものだとつくづく思うのだ。
…とまあ、私の思想ってのはこんな感じで、基本的に何でもシビアな方に寄っています。大抵の事って厳しい理論、優しくない理論、強者の理論の方に正当性があるように感じるんですよね。
ちなみに私は「弱者に優しい社会」になってもらった方が圧倒的に助かる側の人間です。
それでも自分の思想に対して、評価はしないまでも、いくらかの正当性があると思っています。
こういう生き方しか出来ないって事ですかね。
『弱者に優しい政治』
弱者に優しい…。聞こえはいいが、果たして本当にこれは正しいのだろうか?
結論から言うと、私はこの考え方は甚だ疑問だ。なぜなら弱者に優しい、つまり弱者を無条件に救済するシステムというものは堕落を招くだけにしか思えないからだ。
もちろん例外もあろう。
何らかの障害がある人、震災で甚大な被害を被った人、要介護の高齢者…。これらは例外である。私の理屈に当てはめるつもりはない。
本当に救われるべき、報われるべきは「頑張っている者」「闘っている者」ではないだろうか。
逆に言えば
「頑張ってない者は救われるべきではない」
という事だ。
社会的弱者である理由が「怠惰なだけ」であるならば、そんな人間が何の努力もせず救われたら?
「じゃあ俺たち何でこんな必死で頑張ってんだよ!?ふざけんな!!」
そう思いはしないだろうか?
私は思う。
そう考えると、資本主義って至極フェアなものだとつくづく思うのだ。
…とまあ、私の思想ってのはこんな感じで、基本的に何でもシビアな方に寄っています。大抵の事って厳しい理論、優しくない理論、強者の理論の方に正当性があるように感じるんですよね。
ちなみに私は「弱者に優しい社会」になってもらった方が圧倒的に助かる側の人間です。
それでも自分の思想に対して、評価はしないまでも、いくらかの正当性があると思っています。
こういう生き方しか出来ないって事ですかね。