嫌いな言葉。ズバリ『絆』である。2011年の『今年の漢字』が『絆』だと報じられた時 (゚Д゚)ハァ? となったのは私だけではあるまい。「最悪の年だったから今年の漢字くらいほっこりするの選ぼうよ」的な意図もあったんだろうが、そういう誤魔化しやお茶濁しは好きではない。
あれ以降『絆』という言葉は大安売りの大バーゲン。飛ぶように売れ、安っぽく交わされるようになり、本来の意味など失われ単なる記号となった。
そもそも、本来の意味での『絆』というのもピンとこない。夫婦の絆、恋人の絆などと言うが、こちらの想いに応えてもらえなかった時や恋愛に対する温度差(自分は相手を全霊で愛していたが、向こうはそうでもなかった、など、よくあることだ)、そういった事に失望した事がある人は少なからずいるはずだ。そんな時、人はこんなことを言う『所詮は他人だ』『一つにはなれやしない』などと。
その辺のバランス感覚やさじ加減がうまくできる器用な人間は特に疑問に感じたりはしないんだろうが、私みたいな不器用な人間はそういう事があると 何が絆だバカヤロウ! と思ってしまう。バランス感覚ださじ加減だ、そんなもので崩壊するものが絆だというならば、私はそんなもの要らない。むしろ自分を裏切る可能性のある忌まわしきものでしかない。
私の思う『絆』とは、もっと強固なもの。それこそ生半な事では築けない、絶対的なもの。求める事では決して得られない、偶発的なもの。
そんなもの世の中にはそうそうありやしない。家族の絆、親子の絆、兄弟の絆くらいのものだ。他人との絆など、本気で期待すれば失望が待っているだけの幻想だ。仮に絆など求めたとしても、求めに応えるような世の中でもないのだろう、どうせ。
だったら安っぽく絆、絆連呼して「この世界は素晴らしいんです」というムードを作ろうとするな!!
今の世の中に氾濫している『絆』なんて『馴れ合い』と同義語の紛い物だ!
『絆』という言葉をそんなに素晴らしいと感じるならもっと大事に使え!
どうせ世界が決して素晴らしいばかりじゃないのなら、それを素晴らしく演出するような真似はやめてくれ!
甘言はもうたくさんだ!!
あれ以降『絆』という言葉は大安売りの大バーゲン。飛ぶように売れ、安っぽく交わされるようになり、本来の意味など失われ単なる記号となった。
そもそも、本来の意味での『絆』というのもピンとこない。夫婦の絆、恋人の絆などと言うが、こちらの想いに応えてもらえなかった時や恋愛に対する温度差(自分は相手を全霊で愛していたが、向こうはそうでもなかった、など、よくあることだ)、そういった事に失望した事がある人は少なからずいるはずだ。そんな時、人はこんなことを言う『所詮は他人だ』『一つにはなれやしない』などと。
その辺のバランス感覚やさじ加減がうまくできる器用な人間は特に疑問に感じたりはしないんだろうが、私みたいな不器用な人間はそういう事があると 何が絆だバカヤロウ! と思ってしまう。バランス感覚ださじ加減だ、そんなもので崩壊するものが絆だというならば、私はそんなもの要らない。むしろ自分を裏切る可能性のある忌まわしきものでしかない。
私の思う『絆』とは、もっと強固なもの。それこそ生半な事では築けない、絶対的なもの。求める事では決して得られない、偶発的なもの。
そんなもの世の中にはそうそうありやしない。家族の絆、親子の絆、兄弟の絆くらいのものだ。他人との絆など、本気で期待すれば失望が待っているだけの幻想だ。仮に絆など求めたとしても、求めに応えるような世の中でもないのだろう、どうせ。
だったら安っぽく絆、絆連呼して「この世界は素晴らしいんです」というムードを作ろうとするな!!
今の世の中に氾濫している『絆』なんて『馴れ合い』と同義語の紛い物だ!
『絆』という言葉をそんなに素晴らしいと感じるならもっと大事に使え!
どうせ世界が決して素晴らしいばかりじゃないのなら、それを素晴らしく演出するような真似はやめてくれ!
甘言はもうたくさんだ!!