早いもので、生後半年を迎えました!
・・・・・・ということで、記念の出産記録です。いまさらですが、今書かなかったらもう書かないと思うし
ところどころ記憶があいまいですが、陣痛記録をもとに書きとめ。
お暇な方のみ読んでください。
8月19日午前3時くらい
なんとなくお腹が痛くて目覚める
時間を計ってみると規則的
午前3時半
これ陣痛だなって感じる。とりあえず、朝になったら幼稚園に電話してさゆの一時預かりを頼もうと思い、幼稚園準備。お弁当と水筒、着替えなどをリュックにつめて支度。
終わってから病院に連絡。痛みが強くなるか、もう少し間隔が短くなったら来院するように指示。このときで8~10分間隔。
午前4時
旦那さんを起こす
(その後、彼は朝ごはんをモリモリ食べてました)
午前4時半
いよいよ痛いので病院に連絡してから向かうことに。
さゆ起こして車に乗り込む
午前5時
入院。内診してみると子宮口6センチ。
初産のときは、6センチになるまでかなり長かったので、経産婦ってすごいなと実感。
聞いてはいたけども本当だ、的な。。
強くなっていく陣痛に病室のベッドの上で耐える
「ねむいのぉ~」と訴えるさゆに、床で寝はじめる旦那さん
こりゃ付き添いの体をなしてないと思い、ちょっといたわってくれと訴えるも、「あ、うーん、本でも読む?」と返される。「いらんわ!!!!」と即答し、さゆと旦那さんは幼稚園準備をする時間まで車で寝ておいてもらうことに。。・・・・陣痛中に本読む妊婦なんていませんって。
午前7時
なぜか陣痛が遠のく。朝ごはんの時間なので少しだけ食べながら、仲の良い友達や実家にメールしたりのんびり過ごす。
午前8時
急に痛みが強くなってきて、分娩室へ行くことに。旦那さんへ連絡がつかず何度も電話したら、なんと車の中で寝過ごしていた・・・・! 怒る気力はなく、とりあえず幼稚園へ送ることをお願いしたあと、電話を切って一人で分娩室へ入る。痛みに耐えつつ、固定されたりいきむ練習したり。
午前9時すぎ
かなり痛いなかようやく破水。最後の最後はやっぱりすごく痛かったけど、わりと冷静なまま頑張る!「全開です」「先生呼んできて!」の言葉に希望を持ちつつとにかく頑張る!
産院、先生が二人いて堤真一とキムジョンイルなんですが(雰囲気)・・・・入ってきたのはキムジョンイルでした。。。
午前9時42分
がくちゃん誕生。
さゆの時が、本当に「ぱぱの縮小版」みたいな感じで生まれてきたので、半分覚悟してたんですが、生まれた直後、「あら、ぱっちり二重ちゃんですよー♡」と言われたがくちゃん。生まれたてとは思えないスッキリした顔立ちで、私にも旦那さんにも似てなく、一体誰に似た・・・?という感じでした。
と、そんなやりとりを助産師さんとしていたら、すっかり遅れてぱぱ登場(笑)
「いやいや、おつかれさま~」と入ってきたので、いろんなものがこみ上げてきまして「なにがやねん」「寝過ごすとかありえへんわ」とドスのきいた声で応じてしまう私・・・
カンガルーケアしながら怒り狂ってるママってあんまりいないじゃないですか。
その後ナースの皆さんの間で少々話題になったらしく、
「出産時に男性が頼りにならないのは、よくあることですから」
↑ここまで直接的じゃないけどそれっぽいことをベテランの助産師さんから言われ、励ましてもらいました。
険悪な空気の中、がくちゃんは元気に初乳を吸ってたことを覚えています。
なんだか旦那さんが晒し者のようになってますが、いい夫でいいパパだと思うんですよ!フォローとかではなく。
出産後、母が来てくれるまでは毎日さゆのお弁当を用意して幼稚園送り迎えし、合間に仕事して家事して、ということを難なくこなし、
母が来ている間も赤ちゃん返りするさゆの面倒を見たり、土日には毎回、母とさゆを群馬観光に連れてってくれたりしました。
今も、仕事柄あんまり家にはいないけど、いるときは育児も家事もしてくれるし、積極的に私に自由時間を作ってくれます。
がくちゃんが生後半年を迎える今でも、かなり感謝してるんですが・・・・
でも、天才的に間が悪かったですね・・・・出産時・・・・・
まあ、ある意味我が家らしい出産だったのかもとも思います ネタになるし。というか一生ネタにしてやる。
最後に、新生児時代の帽子があったので、ハーフバースデー記念にかぶせてみました。
永澤君・・・?
beforeはこちら。おなじ帽子です。
どれくらい大きくなったか分かるかな~♡と思ったけど、今度は岳が晒し者のようになってしまった。
以上、出産記録でした。
我が家にたくさんの幸せを持ってきてくれたがくちゃん。
みーんな大好きだからね!