明日はライブ | 平安寺ゆうすけのブログ

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日々日常の戯言をひとつ。

こんには。

なんだか、近年で一番秋を感じているのは僕だけでしょうか?

矢野です。

明日は弾き語りライブです。

大塚HEATS+です。

予約はhttp://haibana.com



いきなりですが、皆さんは「先祖供養」というものに興味はありますか?

人間は神様が作ったとか、動物が進化したとか、輪廻転生や、生まれ変わりなど、それぞれ思想や考えがあると思いますが、まずそれは一旦置いておいて、、。

僕らは脈々と受け継いでいるDNAとでも言っておきましょうか、

それらは基本、親、その親、そのまた親、、、、と、いわゆる「先祖」という人達の物を受け継いでる。

歴史上の人物、坂本龍馬とか、徳川家康とか、織田信長とか、その人達と同じ時代を過ごした人達の血を今の僕らが繋いでる。

僕は元々歴史は好きな方なので、その先祖達がいつ、どこで産まれ、どこで育ち、どこで人生を終えたのか?

自分の先祖達、自分の一番身近な「歴史」を知りたくなりました。

僕らの祖父母やその親の世代は戦争や、経済成長、その他諸々、沢山の僕らが想像もできない様な時代を過ごし、「違う時代」を過ごした人達。

自分の祖父母位までは直接話す機会もあったし、それなりにどんな人生を送ったかは解る人は解ると思う。

大げさに言うと「生きた証」と言う物に少しは触れられます。

でもその祖父母の親(自分からするとひいおじいちゃん)はどうかな?

大体の人はよく知らない事が多いと思います。

歴史に名を残す程の著名人には文章や資料でそれらが残っていたりします。

それも大きな「生きた証」だよね。

ただ、それは本当にごく僅か。

ちょっと前までは当たり前に家系図なんかもあったんだろうし、本家や、分家等もはっきりしていて、自分の家の代々のお墓だって何処にあるか知ってたと思う。

でも、皆そんなの知ってる?

気にした事ある?

僕はあんまり興味がなかったし、田舎のわりにうちは親の兄弟も少なかったのでよく知らなかった。

ま、はなから興味がない人にはどうでも良い話なんだけど、僕は今回色々な縁があって、自分の母方のルーツを探ってみました。

役所で調べると、何が解るかって、(祖父母を調べた場合)

祖父母の親の名前。

祖父母の産まれた場所。

祖父母の産まれた日。

祖父母が本籍を置いた場所、

祖父母が結婚した日。

自分の親を産んだ日。

祖父母が亡くなった場所とその日。

たったそれだけだけど、文章でそれを見ると、「確実にこの時代にこの人は生きていた」という「実感」が沸いた。

そして、意外と知らない事実がその紙に書いてあったりする。

例えば、実はおじいちゃんには兄弟がいたとか、、。

実は離婚歴があったとか、、。わかんないけど、そんな自分が知らなかった事実に触れられるかもしれない。

そして、今はインターネットがあるから、その産まれた地や、育った地の歴史に触れられます。

グーグルアースで住所を入力すればその場所まで写真で見れます。

たったこれなんだけど、たったこれだけでもロマンを感じる。歴史を感じる。

ま、僕はね。笑


僕は残念な事に、祖父母はすでに他界してて、母親も随分前に他界しているので、母方の祖父母のイメージは幼い頃のイメージのまま。

だから話も少しの記憶だけ。

でも、祖父母にも当たり前に兄弟がいて、親が居て、育った場所がある。

曾祖父がそこかで祖父を産み、祖父はどこかで育ち、どこかで祖母と結婚し、どこかで母を産み、そして母はどこかで父と出会い、どこかで父と結婚し、兄弟を産み、僕を産んだ。

自分が今まで把握していた親達の歴史が広がる。

今まで自分が知っていた歴史は、母が産まれた日。どこかは知らなかった。

当たり前に、祖父母が住んでいた家だと思っていたけど、違ってた。

今回ルーツを探ってみて、「祖父母がどこで産まれたか」から僕が知っている所までが繋がった。

それが大正12年からだから、、ざっと計算して約90年以上の歴史に広がった。

それに何の意味があるかなんて人それぞれだからいいんだけど、僕は今回、「先祖供養」を名目に自分たちの先祖の生きた証に触れた。

紙だけじゃない。

母の兄弟は一人しか残っておらず、祖父は大家族の末っ子で兄弟との交流がほとんどなかったらしい。

何も解らない所からのスタートだったから、叔母に沢山の事を聞いた。

聞けば知らない事がたくさん出て来る。

僕らが祖父母の事まではなんとなく把握しているように、叔母は叔母の祖父母の記憶がなんとなくある。

でも、その記憶というのは僕らのとっては初めての情報。

まだ親が健在で、祖父母まで健在の人はチャンスだと思う。

祖父母の祖父母ってことは、僕らにとったら、、、、、何だ?笑

ひいひいおじいちゃん?

簡単に計算しても、祖父母が80才代だとしたら、(皆二十歳で子供を産んだとして)ざっと見積もって120年。

祖父母の祖父母は約120年前後も前の人(少なく見積もってね)

少なくても明治の中期、下手したら明治維新だったり、はたまた江戸時代!!(それは言い過ぎか?笑)

そんな時代を生きた人の話をその孫の(自分から見たら祖父母)話を聞けるかもしれない。

それもいいし、自分の祖父母がどんな人生を送って来たかを聞くのもいいんじゃない?

自分の親がどんな子供だったか聞くのも面白いだろうね。

興味があれば「おばーちゃん元気?」と伺いついでに電話をしてみるのもいいんじゃないかな?

色々な話を聞かせてもらえばいいんじゃないかな?

きっと面白いと思います。

大人になって思う。

歴史って本当に面白い。

教科書や本にはならないそれぞれの歴史があるんだな、、と、なんとなく解っていたけど、市役所に請求出来る紙を見て確信したというか、、

リアリティーがあったというか、、


僕は結局代々伝わるお墓も発見出来ました。

探している時は宝探しみたいだった。

見つけた時は興奮して声が出なかった。

とても興奮しました。

全日程、3週間くらいかな。

とっても簡単なんだよ。

両親が健在の人は、祖父母の本籍地を聞いて、その本籍地の役所に問い合わせて、「除籍謄本」という書類を請求します。

もちろん、請求するにはいくつかの資料が必要だけど、返信用封筒と、それを入れてポストに投函するだけ。

たったそれだけ、1000円もかからず出来ます。

今日それが解って、1つ思った事はね、、

先祖供養を名目に、自分が解る範囲で自分で調べる。

親族に話を聞く。

そして、僕が今回辿り着けたお墓に手を合わせる。

これも1つの先祖供養。

でも、顔も名前も知らない先祖に想いを馳せる。

これも立派な先祖供養だなってこと。

言ってしまえば、先祖って、皆自分の親なんだから、元気に生きている事が一番の親孝行であり、先祖供養。

そのもうワンステップ上が、想いを馳せることなのかな。

そんなことを思いました。

先祖供養って言うとなんか宗教的に聞こえるかもしれないけど、自分の親に感謝することは当たり前の事。

どんな事情があれ、親は自分を産んだ唯一の人。

どんな事情があれ、感謝をして悪い事なんて1つもないと思う。

そして、先祖達の「生きた証」ってのは言ってしまうと、

親がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいて、そのおじいちゃんおばあちゃんがいたから今の自分がいるわけで、今生きてる僕らがその先祖達の「生きた証」なんです。

そんな事を気付かせてくれた今回の宝探しでした。

とても楽しかったので、そういう事に興味がある人にはオススメします。


ということで、そんな僕は明日弾き語りライブです。

大塚HEATS+

頑張ってギター弾きながら唄います。

予約は→http://haibana.com