今月のgee-ge.で集まった義援金のご報告をさせて頂きます。
今月は売上の¥173.880集まりました。
ご協力ありがとうございました。
先月は日本赤十字社に寄付させて頂いたのですが、今月は宮城県の南三陸町馬場中山生活センター(http://babanakayama.client.jp/diary/201104/diary20110429.html)という避難所に直接物資を届けさせて頂きました。
サンダルや長靴、帽子や軍手、化粧水や乳液、ソーラーパワーで充電できる充電器や、手動LEDランタン等、少量ではありますが自分の手で直接届けさせて頂きました。
皆様の協力本当に感謝しております。
おかげでセンターにいらっしゃる方々にはとても喜んで頂けました。
今月も引き続きご協力をお願い致します。
現地に行ってみて、僕個人の感想ですが、正直初めは報告するつもりも特にありませんでした。
言葉で表すのがとても難しいと感じたからです。
ですが現地のお年寄りの方々にたくさんのお話を聞かせてもらい、僕らに出来る事は物資を届けるだけではなく、現地の現状を伝える事も僕に出来る一つの協力ではないかと考えさせられました。
正直感想なんてものはありません。
何も言葉になんてなりませんでした。
何がどこにあり、ここが元々何だったのかさえ全く判断も出来ない状況でした。
センターにつくまでの道のりはとても言葉にできるような状況ではありませんでした。
「津波到達予想区域」と書かれた看板が無惨にもなぎ倒されてるような状況です。
いざセンターに着いて、簡単に挨拶を交わし、物資を渡し、地元の人達にお話をお伺いしました。
僕が行った馬場中山センターという場所は、震災後まだ一度も行政が入っていないそうです。
視察さえも一度も行われていないそうです。
なのにそこのセンターの人達は行政に頼る訳でもなく、自分たちのコミュニティーの中で色んなアイデアをもちより、誰に指示された訳でもなく、出来る人達が出来る事をする。
そんな流れが自然とできている場所でした。
地震後津波で流された家を嘆く事もなく、まず一番最初にやった事は、がれきの中から食料を見つける作業だったそうです。
野菜等は一度土に戻して保管等していたそうです。
僕らが行った時は倒壊した家屋等の木材を集め、元大工さん二人を中心に立派な離れを作っている途中でした。
女性達は自然と食事の心配をし、行動する。
男性達は水や住む場所の確保やがれきの撤去、流されてしまった道路の復旧工事等をボランティアの人に重機を借り、自らの手で行ったそうです。
僕たちが「次は何が必要ですか?」と訪ねると、「今は全国のボランティアの皆さんのおかげで生活に必要最低限の物は揃っています。これ以上必要な物となると、正直贅沢品になってしまうので、これ以上の物は大丈夫です。」と言われました。
このセンターの人達は村の会長さんを筆頭にしっかりと統率がそれている素晴らしいセンターでした。
正直怒られるかとも思い、なかなか取り出す事が出来なかったタバコ。
お話の途中に会長さん達数名がおもむろにタバコをすい始めたので、「あの、、怒られるかもと思いながらも、タバコを少し持って来たんですけど、、」と伝えると会長さん含め数人のおじいさん達が子供のように喜びました。
「いやぁ、タバコなんて贅沢品だからこっちから欲しいとは言えないんだよ」と。
嗜好品なので賛否両論もあるとは思うのですが、僕自身も喫煙者なので、これは自分のお金で買いました。
会長さんは「そのタバコ俺によこせ!こいつらはみんなじじいだからタバコなんて吸ったら肺がんで死んじまうからな!」とゲラゲラ笑いました。
そしてタバコが入った袋を手渡すと中身を覗き込んで喜んでもらえました。
そしたら会長さんは袋に手を入れる事も無く、その袋を休憩所の目立つ場所にぶらさげました。
僕が「会長さん、なんで一箱くらい持って行かないの?誰かに持って行かれちゃいますよ」って聞いたら会長さんは普通の顔して「だって俺まだ二本残ってるから。なくなったら頂くよ」と言いました。
すごく当たり前の事に思えるけど、これって誰でも出来る事じゃないと思う。
そして、今このセンターは99%全国の皆さんの物資で成り立っているそうです。
なのでその会長さんやセンターの人達に言われた一言なんですが、
「僕らからすれば、こうして物資を届けてくれるボランティアの皆さんは神様以上なんです。」と、、。
凄く胸が苦しくなりました。
僕が現地に向かう途中に壁に「神と和解せよ!」と書かれた大きなポスターがありました。
正直僕はこの現地の状況を見た時に、「神様なんていない」と思いました。
神様がいるなら何故こんなことをするのか?
なぜこの場所でこの人達だったのか?
どうせなら地球全体なんじゃないか?
神様が人を選ぶのか?
もしこれが「誰かの意思」で行われたことなら、もう人類は滅びるべきです。
もし神様が居るのなら、これは神の所行ではない。
神様でさえとめられなかった自然の猛威です。
そう思いたかったから余計に苦しくなりました。
そして村を少し歩いてみました。
村の少し奥に入れば本当に震災後手つかずのまま。
がれきの山なんて言ってるけど、これは誰かの財産。
こんな壊滅状態でもこんなに元気で前向きに生活している方々のお話を聞けて、とても元気と勇気を頂きました。
お昼ご飯までごちそうになりました。
とても暖かくて美味しい親子丼でした。
センターで大きなテーブルをおじいちゃんおばあちゃんに囲まれて一緒に食事をしました。
このセンターの人達はここの女性達のおかげで震災後一度もカップラーメンや非常食は食べていないそうです。
今でも毎日三食、暖かいご飯を食べれているそうです。
久々に大きな声で「頂きます」と「ごちそうさまでした」が言えました。
そしてセンターを出る前にそのセンターで一番年配の方が村を見下ろし、「ココにはもう住めないな。」と笑いました。
そして「物資を届けてくれてありがとう。もう一つお願いしてもいいかな?東京に帰ったらこの事実を伝えて欲しい。偽善でもいい、野次馬でも良い、見れるならこの現状を見て欲しい。君たちが出来る事は沢山ある。本当にありがとう」と言われました。
伝えるという事はとても難しいのですが、頑張ってみます。
だって、僕が落ち込む事に何の意味もないから。
それだけは確実に言える事。
被災地と呼ばれる地域の人達は沢山の物を失いながらも前向きに生きています。活きています。粋ています。
とても元気と勇気をもらいセンターを後にしました。
その後、帰り道が石巻を通るルートだったのですが、石巻の状況を見て色んな物が繋がりました。
石巻の状況は大き過ぎます。
この広さにこの自衛隊の数、、。どう見ても手の付けようがない状況でした。
ここら辺ではこの場所が中心地なんだと思います。
まずここが復興しないといけない場所が一番手がつけられない状態でした。
日本でいうなら東京が壊滅状態になったようなものなんだと思います。
でもそんな場所を抜けて仙台市内へと向かったのですが、心はとても安定していました。
凄く前向きで力がみなぎって来るような気持ちでハンドルを握る僕が居ました。
沢山のことを前向きに考える事が出来ました。
今後もgee-ge.は寄付を続けようと思っています。
今はこの金額の物資を毎回届けても意味が無い事が解ったので、これを数ヶ月でもためれるだけためて、今後物資の数が減って来た時に何か協力が出来るように準備をしようと思います。
震災後一ヶ月以上経ちました。でも、まだまだ終わってはいません。
テレビで報道しなくなったら終わりじゃないんです。
むしろこれからなんだと感じさせられました。
正直関心の無い人にどうこう言うつもりはありません。
むしろ被災地以外で今回の震災の影響で未だ心が不安定だったり、元気が出ない人には考えて欲しいと思いました。
僕たちが落ち込む事に意味なんてないということを。
今自分の出来る事を無理に考える必要もないと思います。
ただ、普通に、いつも通りに。
それが一番初めの復興活動なんじゃないでしょうか?
正直明日生きてるかなんて解りません。
なら、今のうちに愛してる人に愛してると伝える。
それでもいいと思います。
そんな心構えがこれから復興に繋がって行くのかも知れません。
生意気いってすみません。
またお店で集めた義援金を持って物資を届けた時にはご報告させてもらいます。
ご協力ありがとうございました。