常に考えごとをしながら歩くので、
周りの景色を意識的に見ず覚えずの
生活を続け、The・方向音痴になった
熊本在住のライフコーチ 山下 雄輔です。
今日もブログを見てくれて、
3/23(土) 卒業スピーチを終えて、
自分の生い立ちを振り返ります。
まず僕の人生は4つの期間に分けられます。
①過去/負の感情に囚われてきた
②未来/先が見えない絶望感があった
③現在/理想の実現に迷い不安だった
④今/ライフコーチとして生きると覚悟した
①孤独感と寂しさを感じていた時期
(~18歳迄、約18年間)
②夢や目標がないことに苦悩した時期
(18歳~24歳、約6年間)
③夢の実現方法に迷っていた時期
(24歳~27歳、3年)
④ライフコーチとして生き始めた時期
(27歳~)
今回は
①孤独感と寂しさを感じていた時期(~18歳迄、約18年間)を話します
僕は7人家族の長男です。
※祖父、祖母、父、母、姉(2歳上)、僕、弟(5歳下)
僕は5個下の弟が産まれた時から
母親の愛情を取られた気がしていて、
弟に嫉妬をしていました。
弟に嫉妬していたので、
弟をバカにする兄、
弟に攻撃的な兄でした。
また母親に振り向いて貰おうとしてたからか
人と違うことをして目立ちたい、
人と違うことをしないと価値がないと思う
ようになっていました。
※少数派の左利きに憧れて、右利き→左利きに変更しようとし、お箸やハサミなどは左利きになりました。
僕の思う、人と違うことをするとは、
少数派になりに行くこと、
常に変化しようとすることでした。
ただ、ここで問題が起きます。
周りに合わせる事を大切にし、
安定志向の家庭では、
僕の価値観が全く合わないんです。
※父は郵便局、母は小学校の先生、
祖父は税理士
僕の考えや価値観が理解されず
親の言うことも納得、理解できませんでした
夕食を食べる時も母親とはよく
言い合いになってました。
言い合いになるのが面倒で嫌で
次第に心の距離が離れて行きました。
小学4年生ぐらいからは
夕食の時、家族みんなが食卓を囲む中、
僕はドア越しに家族の会話が聞こえる
隣の部屋で独りテレビを見ながら黙々と
ご飯を食べていました。
その時の僕は、
家族に理解されない怒りや寂しさ、
孤独感を感じていました。
その生活が高校卒業まで続き、
家族に自分の事を話さず心の距離が離れたまま、
熊本大学に進学します。
続きは、次回のブログで書きます。