自分流の職業相談の仕方
今日は医療事務を希望していた女性の職業相談を担当しました。前職を離職してから、自分で医療事務の資格を取り、就職活動をしっかりしているにも関わらず、長いこと決まらなく、モチベーションが下がってきているとのこと。
担当する求職者がネガティブだったり、マイナスのオーラを纏っていることって少なくない。こういう相手と最初に対面したときに、どういう風に相談を進めていくのかって本当に難しくて、職業相談をするようになってから、何ヶ月も経つ今もまだ慣れることはない。ただ、そういう相手には敢えて一球だけ直球をど真ん中に投げるような質問をしてみたりする。その時の反応が、あまりテリトリーに踏み込まれたくないような反応なら、当たり障りのない職業相談を終止していくしかないけれども、迷っている様子だったり悩んでいる様子だったり、そういう表情が一瞬でも見えた時は一般論やキレイゴト抜きで本音でぶつかってみるのが自分のスタイル。
今日担当した求職者の方は後者だったこともあり、悩み・取り巻く状況だったりを相談の中でゆっくり話してくれるようになった。就職活動が長期化していて、両親の存在がプレッシャーになっていること、自分の中で何が悪くて不採用になっているのか分からなくて苦しんでいること、希望の仕事を諦めた方が良いのか迷っていること、などなど。
自分も就職活動には苦しんだ人間だから、彼女の言うことにすごく共感が出来た。新聞なんかでも読んだことあるけれど、「不採用が続くと自分という「人間」を否定されてるような気になってきて、悩みの根がどんどん深くなってくる。」って、まさにその通り。就職活動という荒波を上手く切り抜けられた人には理解出来ないかもしれないけど、そういう人って本当一握りな訳で、不採用が続く中でも自分のやりたい仕事を追い求めたいと思う人にとっては、忍耐力が一番必要になってくると思う。自己否定されてると思い込み、ネガティブなオーラを纏うようになっては、その人の魅力が消えてしまうし、採用されるものも採用されなくなってしまう。常に新鮮な空気を自分の中に取り込んで、最高のパフォーマンスを維持し続けなければならないんだ。
そのためには、「就職活動とは自分と縁のある会社を探すこと」って前向きにとらえるような心構えが必要で、親をはじめとした周りの人がプレッシャーをかけることがあってはならない。だから、親のプレッシャーで悩む彼女に「親の意見だけを聞いて焦らないでほしい。親が焦らせるような意見を言うのなら、自分はのんびりさせるような意見を言う。そこで一回自分の考え方をニュートラルにして、貴方がどういうスタンスで臨みたいのかゆっくり考えてほしい」と伝えました。
悩んでるときこそ、人の話を聞くことが重要で、なるべく多い人から話を聞いた方が良いと思っている。少ない意見では、どこが中心部なのか見極められないし、中心部が分からないのに物事を判断するというのはすごく怖いこと。そういうことを就活を通して学べるのなら、とてもすばらしいことなんじゃない。上手くいかない就職活動には理由があって、そこから学ぶべきことをしっかり学ばないといけない。そうしないと「本当の遠回り」になって人生を無駄にすることになるから。自分の人生はまっすぐではなかったけれど、回り道に落ちている一つ一つの落とし物をしっかり拾おうとしてきたから、こういう相談をされた時に、少しは胸に刺さる意見を伝えることが出来るようになったと思ってる。
こんな話を彼女にしていたら、最後に「今まで受けた職業相談と何か違う。」と言われました。でもそれで良いでしょ。履歴書の書き方、面接の受け答え、そんなものをアドバイスしたところで何の役に立つものなのか。そういうものを必要としている人にはアドバイスするけれど、ほとんどの人はそうじゃないと思っている。今日は利用者が少なかったからたまたまだけど、こういう職業相談を毎回出来たら、就職率だったり、就職件数だったり、もっともっと中身のある数字になる筈。まぁ効率が良いとは思いませんが笑。何事も縁だと思いますよ、つくづく
担当する求職者がネガティブだったり、マイナスのオーラを纏っていることって少なくない。こういう相手と最初に対面したときに、どういう風に相談を進めていくのかって本当に難しくて、職業相談をするようになってから、何ヶ月も経つ今もまだ慣れることはない。ただ、そういう相手には敢えて一球だけ直球をど真ん中に投げるような質問をしてみたりする。その時の反応が、あまりテリトリーに踏み込まれたくないような反応なら、当たり障りのない職業相談を終止していくしかないけれども、迷っている様子だったり悩んでいる様子だったり、そういう表情が一瞬でも見えた時は一般論やキレイゴト抜きで本音でぶつかってみるのが自分のスタイル。
今日担当した求職者の方は後者だったこともあり、悩み・取り巻く状況だったりを相談の中でゆっくり話してくれるようになった。就職活動が長期化していて、両親の存在がプレッシャーになっていること、自分の中で何が悪くて不採用になっているのか分からなくて苦しんでいること、希望の仕事を諦めた方が良いのか迷っていること、などなど。
自分も就職活動には苦しんだ人間だから、彼女の言うことにすごく共感が出来た。新聞なんかでも読んだことあるけれど、「不採用が続くと自分という「人間」を否定されてるような気になってきて、悩みの根がどんどん深くなってくる。」って、まさにその通り。就職活動という荒波を上手く切り抜けられた人には理解出来ないかもしれないけど、そういう人って本当一握りな訳で、不採用が続く中でも自分のやりたい仕事を追い求めたいと思う人にとっては、忍耐力が一番必要になってくると思う。自己否定されてると思い込み、ネガティブなオーラを纏うようになっては、その人の魅力が消えてしまうし、採用されるものも採用されなくなってしまう。常に新鮮な空気を自分の中に取り込んで、最高のパフォーマンスを維持し続けなければならないんだ。
そのためには、「就職活動とは自分と縁のある会社を探すこと」って前向きにとらえるような心構えが必要で、親をはじめとした周りの人がプレッシャーをかけることがあってはならない。だから、親のプレッシャーで悩む彼女に「親の意見だけを聞いて焦らないでほしい。親が焦らせるような意見を言うのなら、自分はのんびりさせるような意見を言う。そこで一回自分の考え方をニュートラルにして、貴方がどういうスタンスで臨みたいのかゆっくり考えてほしい」と伝えました。
悩んでるときこそ、人の話を聞くことが重要で、なるべく多い人から話を聞いた方が良いと思っている。少ない意見では、どこが中心部なのか見極められないし、中心部が分からないのに物事を判断するというのはすごく怖いこと。そういうことを就活を通して学べるのなら、とてもすばらしいことなんじゃない。上手くいかない就職活動には理由があって、そこから学ぶべきことをしっかり学ばないといけない。そうしないと「本当の遠回り」になって人生を無駄にすることになるから。自分の人生はまっすぐではなかったけれど、回り道に落ちている一つ一つの落とし物をしっかり拾おうとしてきたから、こういう相談をされた時に、少しは胸に刺さる意見を伝えることが出来るようになったと思ってる。
こんな話を彼女にしていたら、最後に「今まで受けた職業相談と何か違う。」と言われました。でもそれで良いでしょ。履歴書の書き方、面接の受け答え、そんなものをアドバイスしたところで何の役に立つものなのか。そういうものを必要としている人にはアドバイスするけれど、ほとんどの人はそうじゃないと思っている。今日は利用者が少なかったからたまたまだけど、こういう職業相談を毎回出来たら、就職率だったり、就職件数だったり、もっともっと中身のある数字になる筈。まぁ効率が良いとは思いませんが笑。何事も縁だと思いますよ、つくづく
人の受け止め方
今日は朝からお客さんが絶えずやって来て、一日中休む間もなく対応してた。常に待ち人数確認しながら、一人にかけられる時間を自分の中で微調整して上手く回してたつもり。
19時半過ぎに最後のお客さんを見送り、やっと帰れると思ったら、帰り間際に上司から「七瀬さんは今日全く休んでなかったでしょ?頑張ってくれてありがとう。でもね、こういう投書があったの」と呼び止められました。
その投書には、「今日対応してくださった七瀬さんは話が噛み合ないなくて、対応も事務的で凄く嫌な思いをしました。次は担当者を変えて下さい」と書いてあった。
上司に、「この人は過去に対面障害を持っているかもしれないと相談していたことがあったの。受け止め方が人よりもデリケートなのはあると思う。貴方が待たせてる人を気にしながら、一人当たりの時間を調整しているのも分かる。でもこういう受け止め方があるということを覚えておいてほしい」と言われました。
お客さんはこっちの気持ちを全部見抜いているんだなとハッとさせられた。相談員の方は残業しても残業代がつかないため、基本的に残業はしない。だから業務終了間際は、職員が窓口に積極的に出て、回転させることになるんだけど、この回転と親切な対応の両立が本当に難しい。
明日からの課題だね。こういう指摘って本当にありがたい。ありがとうございました。
19時半過ぎに最後のお客さんを見送り、やっと帰れると思ったら、帰り間際に上司から「七瀬さんは今日全く休んでなかったでしょ?頑張ってくれてありがとう。でもね、こういう投書があったの」と呼び止められました。
その投書には、「今日対応してくださった七瀬さんは話が噛み合ないなくて、対応も事務的で凄く嫌な思いをしました。次は担当者を変えて下さい」と書いてあった。
上司に、「この人は過去に対面障害を持っているかもしれないと相談していたことがあったの。受け止め方が人よりもデリケートなのはあると思う。貴方が待たせてる人を気にしながら、一人当たりの時間を調整しているのも分かる。でもこういう受け止め方があるということを覚えておいてほしい」と言われました。
お客さんはこっちの気持ちを全部見抜いているんだなとハッとさせられた。相談員の方は残業しても残業代がつかないため、基本的に残業はしない。だから業務終了間際は、職員が窓口に積極的に出て、回転させることになるんだけど、この回転と親切な対応の両立が本当に難しい。
明日からの課題だね。こういう指摘って本当にありがたい。ありがとうございました。
介護施設訪問
今日はハローワークに出してもらっている求人(募集)内容の話し合いをしに介護施設に行って来た。人の集まりが悪そうな求人に対して、「ここをこうしたらどうですか?」って提案するようなサービスの一環なんだけど、人の集まりが悪いからと言って、求人内容の変更は簡単に出来ないのが一般的。何故かというと、求人内容を良くしてしまうということは、過去に同じ内容で採用された人よりも優遇してしまうことになるから。
その介護施設の求人内容は休みが年間で70日くらいしかなく、過酷な労働条件だなぁという第一印象。給料はまぁまぁなんだけど、休みがこれだけ少ないんじゃ人が集まらないだろうし、なかなか改善の提案も受け入れてもらえないだろうなぁとあまり期待せずに向かいました。
ところが、いざ施設長に休みを増やしてはどうですかと提案してみると、「最近応募してくる人は、求人内容の給料と休みばかりを気にしている。質問についても、大半がそういったものだし、もしその内容が実態と離れていたら、違うじゃないですかと直ぐにクレームになって辞めてしまうんです。貴方は人を面接したことがないからそう思えるのでしょう。現実はこうなんです。だったら最低ラインを載せておくのが無難でしょう」とのこと。
なるほど、考えうる最低の労働条件を記載していたんですね。条件をオーバーに表現して、少しでも人を集めようとする会社もある中で、殊勝なものだなぁと。もし人を雇うことが出来れば、同じ給料のままもっともっと休みも増やせるようになるし、出来ることなら職員を楽にさせてあげたいという施設長の想いが話の節々で伝わって来た。職員の為に託児所の開設を検討していること。ボーナスも記載内容以上に出しているとのこと。職員は一度勤めたら皆長続きすること。
正直どこまで本当かは分からない。でも人間て話す表情なり、声のトーンだったりで大体その人の想いって汲めるものでしょ。少なくとも自分にはその想いが話し合いの中でしっかり伝わった。でも、その施設の労働条件を求人票っていう紙一枚で表してしまうと、「今は」労働環境を決して良いとは言うことが出来なくて、人の目に留まらない施設になってしまうんだ。
この現状に文句を言うつもりもないし、こうすれば良いってここに書くつもりもないけど、このままで良いとは思えないよね。
その介護施設の求人内容は休みが年間で70日くらいしかなく、過酷な労働条件だなぁという第一印象。給料はまぁまぁなんだけど、休みがこれだけ少ないんじゃ人が集まらないだろうし、なかなか改善の提案も受け入れてもらえないだろうなぁとあまり期待せずに向かいました。
ところが、いざ施設長に休みを増やしてはどうですかと提案してみると、「最近応募してくる人は、求人内容の給料と休みばかりを気にしている。質問についても、大半がそういったものだし、もしその内容が実態と離れていたら、違うじゃないですかと直ぐにクレームになって辞めてしまうんです。貴方は人を面接したことがないからそう思えるのでしょう。現実はこうなんです。だったら最低ラインを載せておくのが無難でしょう」とのこと。
なるほど、考えうる最低の労働条件を記載していたんですね。条件をオーバーに表現して、少しでも人を集めようとする会社もある中で、殊勝なものだなぁと。もし人を雇うことが出来れば、同じ給料のままもっともっと休みも増やせるようになるし、出来ることなら職員を楽にさせてあげたいという施設長の想いが話の節々で伝わって来た。職員の為に託児所の開設を検討していること。ボーナスも記載内容以上に出しているとのこと。職員は一度勤めたら皆長続きすること。
正直どこまで本当かは分からない。でも人間て話す表情なり、声のトーンだったりで大体その人の想いって汲めるものでしょ。少なくとも自分にはその想いが話し合いの中でしっかり伝わった。でも、その施設の労働条件を求人票っていう紙一枚で表してしまうと、「今は」労働環境を決して良いとは言うことが出来なくて、人の目に留まらない施設になってしまうんだ。
この現状に文句を言うつもりもないし、こうすれば良いってここに書くつもりもないけど、このままで良いとは思えないよね。
サンデル教授の講演会ーここから始まる民主主義の逆襲ー
さぁて昨日の講義の内容を思い出しながら、ツラツラと。感想としては、「自分の不勉強さと目標までの距離を痛いほどに突き付けられるネガティブな面が半分、自分の将来なりたい人間像、必要なものを明確に理解させてくれたポジティブな面が半分」—やる気だけを起こしてくれるような生易しい講演会ではなかったから、終わった後に実は凹んだりもしたけど、参加は本当に自分のタメになったと思う。それでは内容をちらほら。
昨日のサンデル教授の講義は、「財政難に苦しむ泉佐野市は市の命名権の売却を検討している。これに対して皆の考えはどうだろうか。」から始まった。相変わらず面白い問いかけをする授業だなぁと考えながら自分の考えをノートにまとめ、指名された発表者が述べる意見を聞きながら、自分との考えを比較。誰かが「個人のアイデンティティに関わる問題。反対の人がいる以上認めるべきではない。」と答え、同意。俺もそう思う。
次は
「ダフ屋の存在について。レディ・ガガのチケットを売るダフ屋の存在は悪だろうか。また、わざわざ田舎から出て行き、夜通し待たなければいけない医師の整理券を、ダフ屋がホームレスを並ばせて買占め、それを売るのとでは違いがあるのだろうか。」
→「対象による。」
レディ・ガガのチケットは趣味的な色合いが強く、チケットを必要とするのはレディ・ガガのファンだけ。他方、医師の整理券については、社会福祉に関わるものであり、医療は人間であれば誰もが必要としうるものである。後者については、市場経済を持ち込むべきではないかなぁと。似たような意見を前の女の人が述べていたのでウンウンと頷きながら聞いていた。
3つ目。
「ある大学において、入学者の10%を学力ではなく、経済面(入学のためにいくら払えるか)で選考するのはどうだろうか。」
→「反対」
入学の選考におけるスタートとゴールは、受験者間で平等とすべき。貧富というのは、生まれる家庭の状況に大きく影響されるものであり、個人の努力がおよぶ範囲ではないため、それを入学の際の判断基準とするものではない。「10%をお金持ち枠とし、そのお金で優秀な先生を雇えば、残りの90%の人も良質な教育を受けることができるため、全ての人にとってウィン・ウィンだ」という意見を誰かが述べていたけど、この制度によって締め出された(落ちた生徒)10%を無視している考えであって、大学の質の向上を目指すのであれば、一部の人に負担を求めるのではなく、全員に求めるのが正しい姿である(それが嫌ならそもそも入学にしなければいい)。
4つ目
「学校が成績優秀者にお金を払って勉学の促進を図ること、本一冊読むにつき○ドルと決め、読書の促進を図ることは悪いことなのか。」
→「反対」
お金の正確な稼ぎ方(得る方法)を教えるのも教育の一環である。労働の対価としてお金が払われることを教えるならともかく、勉学や読書の対価にもなりうるとするのは教育において歪みをもたらすのでは。子供の成長を目的とするならば、間接的な手段に頼らず、学ぶ楽しみや喜びといった直接的なものを重視すべきである。これも誰かが似たようなことを言っていた。
ただ反対意見の「きっかけとして報奨という仕組みを使うのは悪くないのではないか。最初はお金であっても、そこから学ぶ楽しみや読書の楽しみを知ってもらうのであれば良いのでは。」という理論はなかなか強いものだったなぁと。
5つ目
「スイスで原子力廃棄物の処理施設を何処かに設置しなければならないという話があがった。国内で検討に検討を重ねたところ、山奥のとある町が候補に挙がり、住民に「受け入れても良いか」住民投票したところ、51%がOKと答えた。しかし、その後、「住民一人一人に補償金を払うことを引き換えに受け入れても良いか」と住民投票をすると、そのパーセンテージは25%に下がってしまった。どういった理由が考えられるだろうか。」
これは手を挙げたら指してもらえた!何か一回は発言をしたいと思っていたから、皆の前で発表出来たのは貴重な体験だったけど、緊張から自分の伝えたいことを伝えられなかった気がする。先生から返って来た返答は自分が伝えたかったものではなく、自分のコミュニケーション能力のなさに悔しさを感じたよね。英語を話せるようにならなきゃって強く実感した。ほとんどの人が英語で回答してるんだもん。
さて、言いたかった答えとは、「タダ」で受け入れるということは、安全なのではないかという錯覚が生まれると共に有事の際の強い非難が出来るように思えるということ。例えば、「事故の可能性はほとんどありません。だから受け入れてください」と言われるより「事故の可能性はほとんどありません。ただし、受け入れて頂ければ、補償金をお支払いしますよ。」と言われた方が、危険度に額を付けることで危険度の現実味が帯びてくるように思えるし、もし補償金を受け取っていれば、有事の際に相手を強く避難出来なくなってしまうかもしれない。(補償金を払っていたではないですかという抗弁材料を与えてしまう)
(結論)どうやら、自分の答えは違っていたようでした。無償で受け入れることに賛成していた人の善意に、値段が付けられたことで、賛成していた人の気分を害したようです。そんな考えもあるのかぁなるほどと脱帽。
6つ目。
「イスラエルの保育所では、定められている迎えの時間より、実際に親が迎えに来る時間の方が遅いという問題があった。そこで、迎えが遅れた場合の罰金制度を導入してみたところ、遅れてくる親の人数が増えるという現象が起きた。なぜだろうか。」
今までは迷惑をかけるという罪悪感から、早く迎えに来ようとしていた。しかし、罰金が科されることで、お金を払っているのだから遅れても良いという意識が芽生え、今まで感じていた罪悪感の意識が薄れるようになった。なるほど、ちょっと自分の考えとは違ったけど、納得。
サンデル教授が最後にまとめた内容。
お金が導入されることにより対象物の性格がこれまでと変わってくる。どういう目的を対象物が持っているかを理解することが大切である。日本では、こういった流れを見ることはまだ少ないが、徐々にではあるが傾向が見えてきている。市場社会と市場主義は異なる。市場社会はあらゆるものが商品化され取り引きされている社会である。我々は今枠組みの話をした。これからは何が重要なのかを公に討論していかなければならない。
だとさ。自分の答えを交えながら、振り返ってみたけど、この重さで第一部。第二部は東異本大震災の内容を中心に進めて、より議論の色合いが強い印象だった。また元気がある時に振り返りながらアップすることにする!
昨日のサンデル教授の講義は、「財政難に苦しむ泉佐野市は市の命名権の売却を検討している。これに対して皆の考えはどうだろうか。」から始まった。相変わらず面白い問いかけをする授業だなぁと考えながら自分の考えをノートにまとめ、指名された発表者が述べる意見を聞きながら、自分との考えを比較。誰かが「個人のアイデンティティに関わる問題。反対の人がいる以上認めるべきではない。」と答え、同意。俺もそう思う。
次は
「ダフ屋の存在について。レディ・ガガのチケットを売るダフ屋の存在は悪だろうか。また、わざわざ田舎から出て行き、夜通し待たなければいけない医師の整理券を、ダフ屋がホームレスを並ばせて買占め、それを売るのとでは違いがあるのだろうか。」
→「対象による。」
レディ・ガガのチケットは趣味的な色合いが強く、チケットを必要とするのはレディ・ガガのファンだけ。他方、医師の整理券については、社会福祉に関わるものであり、医療は人間であれば誰もが必要としうるものである。後者については、市場経済を持ち込むべきではないかなぁと。似たような意見を前の女の人が述べていたのでウンウンと頷きながら聞いていた。
3つ目。
「ある大学において、入学者の10%を学力ではなく、経済面(入学のためにいくら払えるか)で選考するのはどうだろうか。」
→「反対」
入学の選考におけるスタートとゴールは、受験者間で平等とすべき。貧富というのは、生まれる家庭の状況に大きく影響されるものであり、個人の努力がおよぶ範囲ではないため、それを入学の際の判断基準とするものではない。「10%をお金持ち枠とし、そのお金で優秀な先生を雇えば、残りの90%の人も良質な教育を受けることができるため、全ての人にとってウィン・ウィンだ」という意見を誰かが述べていたけど、この制度によって締め出された(落ちた生徒)10%を無視している考えであって、大学の質の向上を目指すのであれば、一部の人に負担を求めるのではなく、全員に求めるのが正しい姿である(それが嫌ならそもそも入学にしなければいい)。
4つ目
「学校が成績優秀者にお金を払って勉学の促進を図ること、本一冊読むにつき○ドルと決め、読書の促進を図ることは悪いことなのか。」
→「反対」
お金の正確な稼ぎ方(得る方法)を教えるのも教育の一環である。労働の対価としてお金が払われることを教えるならともかく、勉学や読書の対価にもなりうるとするのは教育において歪みをもたらすのでは。子供の成長を目的とするならば、間接的な手段に頼らず、学ぶ楽しみや喜びといった直接的なものを重視すべきである。これも誰かが似たようなことを言っていた。
ただ反対意見の「きっかけとして報奨という仕組みを使うのは悪くないのではないか。最初はお金であっても、そこから学ぶ楽しみや読書の楽しみを知ってもらうのであれば良いのでは。」という理論はなかなか強いものだったなぁと。
5つ目
「スイスで原子力廃棄物の処理施設を何処かに設置しなければならないという話があがった。国内で検討に検討を重ねたところ、山奥のとある町が候補に挙がり、住民に「受け入れても良いか」住民投票したところ、51%がOKと答えた。しかし、その後、「住民一人一人に補償金を払うことを引き換えに受け入れても良いか」と住民投票をすると、そのパーセンテージは25%に下がってしまった。どういった理由が考えられるだろうか。」
これは手を挙げたら指してもらえた!何か一回は発言をしたいと思っていたから、皆の前で発表出来たのは貴重な体験だったけど、緊張から自分の伝えたいことを伝えられなかった気がする。先生から返って来た返答は自分が伝えたかったものではなく、自分のコミュニケーション能力のなさに悔しさを感じたよね。英語を話せるようにならなきゃって強く実感した。ほとんどの人が英語で回答してるんだもん。
さて、言いたかった答えとは、「タダ」で受け入れるということは、安全なのではないかという錯覚が生まれると共に有事の際の強い非難が出来るように思えるということ。例えば、「事故の可能性はほとんどありません。だから受け入れてください」と言われるより「事故の可能性はほとんどありません。ただし、受け入れて頂ければ、補償金をお支払いしますよ。」と言われた方が、危険度に額を付けることで危険度の現実味が帯びてくるように思えるし、もし補償金を受け取っていれば、有事の際に相手を強く避難出来なくなってしまうかもしれない。(補償金を払っていたではないですかという抗弁材料を与えてしまう)
(結論)どうやら、自分の答えは違っていたようでした。無償で受け入れることに賛成していた人の善意に、値段が付けられたことで、賛成していた人の気分を害したようです。そんな考えもあるのかぁなるほどと脱帽。
6つ目。
「イスラエルの保育所では、定められている迎えの時間より、実際に親が迎えに来る時間の方が遅いという問題があった。そこで、迎えが遅れた場合の罰金制度を導入してみたところ、遅れてくる親の人数が増えるという現象が起きた。なぜだろうか。」
今までは迷惑をかけるという罪悪感から、早く迎えに来ようとしていた。しかし、罰金が科されることで、お金を払っているのだから遅れても良いという意識が芽生え、今まで感じていた罪悪感の意識が薄れるようになった。なるほど、ちょっと自分の考えとは違ったけど、納得。
サンデル教授が最後にまとめた内容。
お金が導入されることにより対象物の性格がこれまでと変わってくる。どういう目的を対象物が持っているかを理解することが大切である。日本では、こういった流れを見ることはまだ少ないが、徐々にではあるが傾向が見えてきている。市場社会と市場主義は異なる。市場社会はあらゆるものが商品化され取り引きされている社会である。我々は今枠組みの話をした。これからは何が重要なのかを公に討論していかなければならない。
だとさ。自分の答えを交えながら、振り返ってみたけど、この重さで第一部。第二部は東異本大震災の内容を中心に進めて、より議論の色合いが強い印象だった。また元気がある時に振り返りながらアップすることにする!
