僕は少年時代から20代前半まで親に対して反抗期が長く、とても幼児性が強烈でした。
濵田家では自分が中心で回っていると勘違いして本当に迷惑をかけていました。
特に父親とはバトルが絶えなかったです。
家に警察が来たこともあった。
中学2年生から不登校になり、学校に行かない間はずっと遊び回っていました。
↑14歳〜17歳
小中の時からよく問題を起こしては菓子折りをもって謝りに行ったり、時には父親が相手方の親御さんに土下座までしたこともある。
喧嘩も強く無いし、根性もある訳でもないし、不良というよりも只の自分勝手なやつ。
好き勝手に自由気ままな幼稚な子供でした。
友達が家出をすると勝手に家に住ませたり、
夜中、朝方構わず友達を自由に出入りさせたり、夜中になると食材を食べ漁り、
飲めもしないのに冷蔵庫にあるビールをひと口飲んで不味いと思い捨てる繰り返し(笑)
怒られると逆ギレをして暴言を吐いていました。
親の新車を事故って廃車にしたり。
ここには書けない様な事も多々ありました。
どんな事をしても見捨てられない。
親は常に子供の見方であるべき。
そんな風に思っていた。
ところが22歳の時に特に多大なる迷惑をかけ続けてきて父親に「20歳回っているんやし、家を出ろ。今回は本気やぞ」と言われて家を追い出されました。
僕は内心「そんな事いうてなんだかんだいけるって」と思い家に帰ったら鍵が変わっていました。
夜中にも関わらず家の玄関をドンドン叩いたり、インターホンを連打してもドアが開く事はありませんでした。
「やばいホームレスになってしまった」と
絶望になり、元カノに頼み込んで1人暮らしする迄なんとか住ませて貰った。
マジかと思いつつ、
電話をしてもLINEをしても連絡無し。
「マジで勘当されたやん。。
コレやったら親族の葬式にも行かれへんやん。」
そこから心を入れ替え様と決意をしました。
正月は僕以外の兄弟は集まるが僕だけ行けないそれが4年程続いた。。
兄とだけは連絡が繋がっていて兄が親とのクッション役としてなってくれていた。
「口だけじゃなくて行動で示すから見といて」と親にLINEだけ送りました。
それから兄に状況を報告していた。
経過報告を地道に続けて4年程経ちようやく一度ご飯を行けるようになりました。
家にはあげて貰えず始めの頃は外食でした。
やがて連絡も取って貰える様にもなり、
段階踏んで26.7の時にようやく和解できました。
気が付けば親の脛をかじる事は無くなり
自立することができました。
数年後、心理学で子育て療法を學んだ時にこういう事だったのかと腑に落ちました。
子育ての最終のゴールは
社会というサバイバルに生き抜く術を教えると學んで、
その為には蜜月→対立→手放しという順番がある。
いつか子供を手放しお別れをする為に育てるのだと。
で、日本は法治国家だ。
子供でも悪いことしたらブタ箱に入らないといけない。
親に出来ることは限界がある。
対立の時期から親は子供に何があっても、
何でもかんでも手助けしようとせずに
離別感(あなたと私は別)を持って親は耐える力が必要なんだと。
母性の受容が大切な時もあるが厳しさも必要なんだと學びました。
その時に僕の家族での出来事を振り返った時に、勘当される前に親は色んな所に相談に行っていたそう。
勘当中もあらゆる所に相談に行ってたそう。
兄からは「本当は侑甫の事が嫌いだからじゃないぞ!侑甫の事を本当に思ってるからやで」としばらく経ってから教えて貰った。
涙が込み上げました。
親は今まで受容と我慢をしていたのを、離別感を持って手放したんだなと思いました。
情けはその子の為にならない。
当時は恨んでいた時期もありましたが、
今はとても感謝しています。