古事記の神話を読んで最も気になっていたのが火山との関係。

 

そう思って調べたら物理学者の寺田寅彦が1933年に「神話と地球物理学」、戦後すぐに亡命ロシア人だったアレクサンドロ・ワノフスキーが「火山と日本の神話」、近年では蒲池昭弘さんが「火山で読み解く古事記の謎」を書いていた。

 

何故そう思ったかと言うと火にまつわる神話が多いし、火の漢字が当てられている神も多い。

 

 

日本列島に人類が住み着いて以降、最も恐ろしかったのは火山噴火だったのではないだろうか。

 

地震、雷や台風なども恐ろしかったと思うが短時間で終わり、火山噴火のように長期間持続する訳ではない。

 

旧石器人や縄文人は長く日本に住んでいるので火山噴火にある程度の慣れがあっただろうが,大陸にいて火山噴火など見た事もなかった新規参入の弥生人にとっては天地がひっくり返るくらいの驚きだったと思う。

 

溶岩流、噴石、火砕流、火山灰、泥流などが発生するので自然のサイクルの中で生きていた当時の人々にとっては、たとえ山から遠く離れていても火山灰で耕作が出来ない、泥流で川が濁って飲料水が確保出来ないなど、生存に関わるから噴火が最も恐ろしかったと思う。

 

そこで古事記の神話に地名として高千穂と出雲が多く登場するのは、火山として霧島連山の高千穂峰、出雲では三瓶山が関係しているのでは、と思うようになった。

 

また高千穂は宮崎県北部にもあって、どちらが本家かは分からないが近くに火山の阿蘇山あるいは九重連山がある。

 

これらの火山は過去10000年間に限ってみても噴火が頻繁に起こっているので、気象庁は活火山として分類している。

 

だから結論として古事記に書かれている神話は、新たに九州各地に渡来した弥生人の多数の人達が、九州で頻発していた火山噴火から逃れ、同じように三瓶山の噴火に遭った出雲にいた同族の渡来人達もまた東に進み、最終的には火山噴火のない近畿で大和朝廷を作ったのだと思っている。

 

(*この時代に合致する噴火記録は霧島連山が2800-2500年前、1700-1200年前など。阿蘇山は2800-1800年前。九重山は1700~1600年前。三瓶山は3800年前にマグマ噴火があり,その後1400-1300年前くらいまで水蒸気噴火を繰り返した。)

 

しかし、移動しなかった一部の人たちは九州あるいは中国地方などに集団として住み着き、そして4~6世紀ごろから作られ始めた古墳が族長の墓として全国に広がって行き、今に伝わっているのではないだろうか?

 

だから古事記の神話は弥生人が渡来した後の今から2500年前ぐらいから始まり、語り部などの口伝で1200年間くらい伝えられていた物語を712年に文字で残した壮大なものだ,と思っている。

 

 

古事記神話が火山と関係していると類推したところ(他にもある。)

イザナギ   海をかき回して島を作る(海底火山噴火、喜界カルデラか姶良カルデ

       ラ)

イザナミ   陰部を火傷して死ぬ(噴火)   

       訪ねて行ったイザナギを執拗に追いかける(三瓶山の溶岩流または火

       砕流)

スサノオ   八岐大蛇を退治した後に川が真っ赤に染まった

      (三瓶山の噴火の後に斐伊川や神戸川が酸化鉄で赤茶色に濁った)

       高天原に上がる時に暴れた(噴火)

アマテラス  天岩戸(噴火による暗闇)  伊勢に行く(噴火のない安住の地)

オオクニヌシ 根の国に向かった(三瓶山もしくは大山)

ニニギ    古事記には無いが720年編纂の日本書紀では別名のほとんどに

      「火」の漢字が当てられている

 

(* 古事記では多くの神が女性をめとっているが、これは弥生人が先住の縄文人女性を口説いては妻にしていた歴史。のっぺら顔の弥生人男性が秋田や庄内美人のような目鼻立ちすっきりの縄文女性を見れば惚れてしまうのは当たり前。

一方、弥生人女性も目鼻立ちすっきりで逞しい縄文人男性に惚れるのは,今でもそのDNAがしっかりと残り、東男と京女と言われているし、外国人にくっ付きたがる女性が大勢いる。)

 

とまあ、このように穿った見方で神話を読むのも面白い。

 

 

10日の日曜日からまたフィリピンのセブに行く。

ただしリゾートへ行く予定は全く無しでスラム街にある小学校。

初行きは1984年で35年になるから、初めて会った子供達はオジサン、オバサン世代。

この間に多くの子供達がスラム街から脱出し、中産階級ぐらいの生活が出来ていれば嬉しいのだが・・・。