津波の被害を受けた石巻のは家は2月に解体は終了したが、その時に調査をした土蔵の中からお宝が出て来た。
昨年秋に石巻の家に行った時は土蔵の鍵が開かなかったのでそのままにしてきたが、今回も前回同様に宮城歴史資料保存ネットワークの東北学院大学教授の斉藤義之さんに立ち会い調査をして頂き、お宝を見つける事が出来た。
見つかったの江戸時代の油彩画家、司馬江漢が描いた2枚の絵。
「江之嶋児渕眺望」(江ノ島から見た富士山で手前には烏帽子岩が描かれている。)

「金澤能見堂眺望」(横浜金沢八景にあった能美堂から見た東京湾を描いている。)

ちなみに司馬江漢とは
【司馬江漢】 江戸後期の洋風画家。浮世絵などを手掛けていたが、平賀源内の影響を受け、日本で初めて腐食銅版画の制作に成功。エゴマ油を使った絵の具で風景画を描くなど、洋風画を開拓した。油彩風景画は現在約40点が知られる。
以下は河北新報に載った記事から転載
土蔵から司馬江漢の油彩 津波被災で解体寸前の民家で 石巻
東日本大震災で津波の被害を受けて解体が決まった宮城県石巻市の民家の土蔵で、江戸時代の洋風画家司馬江漢(1747~1818年)が描いた油彩風景画2点が見つかり、仙台市博物館に寄贈されることになった。絵はついたての表裏にはめ込まれており、博物館によると、こうした形式の江漢の絵が確認されたのは初めてという。海水に漬かったが、状態は比較的良く、博物館は今秋の特別展での公開を予定している。
2点はいずれも縦約110センチ、横約80センチ。絹のキャンバスに、江の島の稚児ケ淵(神奈川県藤沢市)と能見堂(横浜市)が油絵の具で描かれ、それぞれ「江之嶋児渕眺望」「金澤能見堂眺望」と題されている。
仙台市博物館の内山淳一学芸室長によると、「Si Kookan」のサインが朱色で記され、鮮やかな青の配色や的確な立体表現などの特徴から、江漢の作品と見てほぼ間違いないという。
内山さんは「江漢が同じ場所から稚児ケ淵を描いた作品が存在し、国内の専門家も本物と見ている」と説明する。
ついたての絵は今年1月、古文書などの保存活動に取り組むNPO法人宮城歴史資料保全ネットワークが発見した。空き家となっていた民家の所有者側から連絡を受け、解体前に実施した調査で、ついたてが木箱に入れられ、土蔵の壁面に立て掛けられているのを見つけたという。
副理事長で、調査に同行した東北学院大の斎藤善之教授(日本近世史)は「土蔵は暗く、最後の最後に木箱に気付いた。見落としたらそのまま建物と一緒に壊されていたはずで、危なかった」と振り返る。
この2枚は絵は残念ながら津波を被ってしまったが保存状態は良いし、絵の大きさからして司馬江漢の代表作になるだろうとのことなので、大勢の人に見てもらうべきという趣旨で仙台市博物館に寄贈した。
今年の秋には修復した上で特別展を開催して展示するそうなので,津波を生き延びた名品を見て頂きたい。
また、このような明るいニュースが被災地の復興の一助にでもなれば嬉しい。
昨年秋に石巻の家に行った時は土蔵の鍵が開かなかったのでそのままにしてきたが、今回も前回同様に宮城歴史資料保存ネットワークの東北学院大学教授の斉藤義之さんに立ち会い調査をして頂き、お宝を見つける事が出来た。
見つかったの江戸時代の油彩画家、司馬江漢が描いた2枚の絵。
「江之嶋児渕眺望」(江ノ島から見た富士山で手前には烏帽子岩が描かれている。)

「金澤能見堂眺望」(横浜金沢八景にあった能美堂から見た東京湾を描いている。)

ちなみに司馬江漢とは
【司馬江漢】 江戸後期の洋風画家。浮世絵などを手掛けていたが、平賀源内の影響を受け、日本で初めて腐食銅版画の制作に成功。エゴマ油を使った絵の具で風景画を描くなど、洋風画を開拓した。油彩風景画は現在約40点が知られる。
以下は河北新報に載った記事から転載
土蔵から司馬江漢の油彩 津波被災で解体寸前の民家で 石巻
東日本大震災で津波の被害を受けて解体が決まった宮城県石巻市の民家の土蔵で、江戸時代の洋風画家司馬江漢(1747~1818年)が描いた油彩風景画2点が見つかり、仙台市博物館に寄贈されることになった。絵はついたての表裏にはめ込まれており、博物館によると、こうした形式の江漢の絵が確認されたのは初めてという。海水に漬かったが、状態は比較的良く、博物館は今秋の特別展での公開を予定している。
2点はいずれも縦約110センチ、横約80センチ。絹のキャンバスに、江の島の稚児ケ淵(神奈川県藤沢市)と能見堂(横浜市)が油絵の具で描かれ、それぞれ「江之嶋児渕眺望」「金澤能見堂眺望」と題されている。
仙台市博物館の内山淳一学芸室長によると、「Si Kookan」のサインが朱色で記され、鮮やかな青の配色や的確な立体表現などの特徴から、江漢の作品と見てほぼ間違いないという。
内山さんは「江漢が同じ場所から稚児ケ淵を描いた作品が存在し、国内の専門家も本物と見ている」と説明する。
ついたての絵は今年1月、古文書などの保存活動に取り組むNPO法人宮城歴史資料保全ネットワークが発見した。空き家となっていた民家の所有者側から連絡を受け、解体前に実施した調査で、ついたてが木箱に入れられ、土蔵の壁面に立て掛けられているのを見つけたという。
副理事長で、調査に同行した東北学院大の斎藤善之教授(日本近世史)は「土蔵は暗く、最後の最後に木箱に気付いた。見落としたらそのまま建物と一緒に壊されていたはずで、危なかった」と振り返る。
この2枚は絵は残念ながら津波を被ってしまったが保存状態は良いし、絵の大きさからして司馬江漢の代表作になるだろうとのことなので、大勢の人に見てもらうべきという趣旨で仙台市博物館に寄贈した。
今年の秋には修復した上で特別展を開催して展示するそうなので,津波を生き延びた名品を見て頂きたい。
また、このような明るいニュースが被災地の復興の一助にでもなれば嬉しい。