胎児水腫で亡くなった我が子の事を書いています。

この先を読んで不快な気分になられましたら、心からお詫びいたします。












マタニティを着て救急でクリニックへ行き、そのまま入院。
死産の後も、そのマタニティを着て退院。    えーん

辛くて、悲しくて、消え去りたい思いで、迎えに来た夫と診察室にあいさつに行きました。

出産時、凛として冷たい感じだった看護師さんが(その頃看護婦さんと呼んでいて、その方は婦長さんでした。)
駆け寄って来て、ギュッと抱きしめて下さいました。

優しく背中をトントンして、
「頑張ったね。」と頭を撫でていただきました。

温かくて、優しくて、これからも私は生きて行かなくては、、、と、、、


その時、「次妊娠したら、りんご病と風疹に気をつけてね。」と
おっしゃいました。

もしかしたら、やっぱり、、、
いたたまれない気持ちになりました。



当時住んでいたマンションの隣家はとても人懐っこい家族でした。
新宿伊勢丹のセールで偶然お会いしたのがきっかけで、親しくさせていただくようになりました。


お互いの夫たちは帰宅が遅く、一緒にショッピングやランチを楽しんだ事もありました。

お子さんが幼稚園のお休み時は我が家に遊びにいらしたり…


【りんご病】で幼稚園の登園禁止の数日間、ほぼ一日中我が家で過ごされていました。


私は、妊娠中でした。


りんご病が体内感染する可能性があるなんて、全く知りませんでした。

(もしかしたら)その時に【りんご病】に感染したかもしれません。


胎児水腫とわかる数日前から、お腹だけに赤っぽくてヒリヒリ…カサつく湿疹がでていました。
それは、死産の後すぐに消えました。


自分を責め、自分の不運を嘆き、
亡くなった子の生命力の無さを悲しみ、持って行き場のない辛さに耐えるしかありませんでした。


隣の方も、【りんご病】のそのような知識を持たれていなかったと思います。

今と違って、病気、妊娠の情報は病院か、〈家庭の医学書〉や
〈バルーン〉〈マタニティ〉といった雑誌頼りなアナログ時代でしたから…  ショボーン


隣の方は何も悪くない、二人とも無知だったのです。
私の運命だったと思いますが、
もしかしたら、りんご病感染で亡くなった(かもしれない)と、今も過るのは正直な気持ちです。



まだ若くて人間が出来ていなかった私は、隣家とエレベーターでお会いするのも耐えられず、距離を置く生活を選びました。
二人目が生まれて直ぐに、引っ越しました。

そして、今でも以前のマンション前は、避けてしまいます。
  😣ショボーン


妊娠は病気じゃないと言ったのは
大昔のことです。
妊娠中ほど、安全安静にしなくてはならない時期はないと思います。


妊婦さんへの【りんご病】の怖さを
声を大にして、伝えたいです❕❕



年月が流れて、今は、
日々の平凡に感謝しながら、
平穏に暮らしております。  おねがい





私のつたない吐露ブログを、
最後まで御読み頂いてありがとうございました。
心より、感謝申し上げます。
    
     m(_ _)m