昨日の続きです。
胎児水腫で亡くなった我が子の事を書いています。


この先を読んで、不快な気分になられましたら、心からお詫びいたします。












実は、長いあいだずっと胸に収めてきましたが、ブログを始めていることでこの年になって人生初、全て吐露したくなりました。
(・_・)


冷たい診察台で処置を受けている時、看護師さんがお腹に軟膏をぬって下さいました。
数日前から腹部湿疹が出ていて、赤くひび割れしているような、ヒリヒリと突っぱり感があり、ちょっと普通と違う症状が出ていました。

その看護師さんは、凛とされていて威圧感のある方でした。

泣いてる私に同情的な声かけすることなく、
「しっかりしなさい。」と強く肩を叩かれました。

「おかあさんが赤ちゃんをこの世に出してあげなくてはならないのよ。」

「さぁ、涙を拭いて。」と……

その時はイヤでしたが、振り返ると淡々とした対応が私に力をくれたかもしれません。

どれだけ辛くても、苦しくても、
自分で生まなくてはならない!
出してあげなくてはならない、希望のない痛みの出産でした。  えーんえーん



2日間かけて子宮口を広げ(ラミナリアを追加していきました。)いよいよ出産ですが、陣痛が弱くなかなか生むことができませんでした。

当時のDr.は、どんどん強い促進剤を使い身も心もクタクタになりながら、長い時間をかけて、
泣かない、小さい、胎児水腫でむくんだ赤ちゃんを出産しました。
誰一人として話さない、悲しみに包まれた空間で…  えーん


私、25才の3月…
寒い分娩室でした。



分娩台で、白い天井を見ながら、
何故? なぜ? 何故? なぜ?
順調だったのに、何故?
自分を責める事しか出来ませんでした。😭  


3日後、母乳が出てきて…
泣きながら、冷たいタオルで胸を冷やし続けおっぱいを止めました。
涙とおっぱいでタオルがグチャグチャになっていました。



退院後は、生理が来ると流産したと錯覚して、泣き崩れた日もありました。

当時の私は、しばらく廃人のようだったと、後に夫から聞きました。


死産の辛さは夫と言えど、男にはわからない苦しみです。



書いていると思い出すことが沢山出てきて、気持ちが高ぶってしまいます。
  (ヽ´ω`)


まだ、続きがあるのですが、長くなっているのでまた、明日、書かせて下さい。
最後まで御読み頂いて、ありがとうございました。
   m(_ _)m