922日~23日で、鹿児島の知覧に行ってまいりました。知覧はご存じのとおり、太平洋戦争の末期、陸軍の特別攻撃隊(特攻隊)の出撃基地となった場所です。

 

 知覧には「富屋旅館」(当時は「富屋食堂」)という旅館があります。この地で出撃命令を待つ少年兵たちが母のように慕っていた、鳥浜トメさんという方が営んでいた食堂です。戦後、遺族たちがこの地を訪れたときに、宿泊する場所がなければ困るだろうとトメさんが旅館につくり変えたのだそうです。今でもほとんど当時のままの佇まいで、宿泊も可能です。私もここに宿泊しました。快適な旅館やホテルとは違い、不便も多いですが、それがかえって当時に思いを馳せる助けになったりします。

 

 鳥浜トメさんは数年前に他界されましたが、今は3代目の鳥浜初代さんがトメさんの遺志を継いで、旅館を続けています。

 トメさんは、特攻隊について生前くり返しこう話していたそうです。「伝え間違っちゃいけないよ」と。「美化してはいけない。風化させてもいけない。」

 

 知覧は、この地を訪れること自体、時に「戦争や特攻を美化している」と非難の対象となることがあります。しかし、もちろん私に特攻を美化するような気持ちは微塵もありません。1036人の若い命が「お国のために」特攻で失われた…そんなあまりにも悲しい話が正しいことのわけがありません。(散華した兵隊には17歳や18歳の少年も多くいたそうです…。)

 

 むしろ「風化させてはいけない」。この重要さをヒシヒシと感じます。日本を始め多くの国で、戦争経験のない人たちが大半を占める時代になりました。そのことと戦争の危機が迫っていると言われることは決して無関係ではないと思います。戦争がどれだけ悲惨でむごいものか…その認識を人類が共有しなければ、人類は同じ過ちを犯してしまうかもしれません。日本が攻撃を受けて大きな被害を受けた広島長崎沖縄などと同じように、信じられないような作戦が行われて多くの犠牲が出た知覧も、多くに人にぜひ現地で「感じて」ほしい場所です。

 

 知識を持っていることと、現地で実際に感じることは雲泥の差があります。まったく別のことです。自分も、特攻兵のエピソードなどは以前から知っていたのですが、現地で聞くと同じ話でもまったく重みが違いました。涙がこらえられませんでした。出撃前夜の手紙を見たり、実物大のゼロ戦を見たり、出撃前に食事をした同じ場所で同じメニューの食事をしたり…。本や映画で見て感じることも大切ですが、現地ではその何百倍ものリアリティーが感じられます。本当に魂が揺さぶられます。

 

 女将の鳥浜初代さんから、特攻兵たちと同じ場所で食事をいただいているとき、「今『明日出撃せよ』と命じられたらどうしますか?」と問われたとき、言葉が出ませんでした。いったい彼らはどんな気持ちで食事をしたのだろう。何を思い、誰を思っていたのだろう。

 

 宮川三郎さんという少年兵が、特攻前日「ホタルになって戻ってくるよ」と言い残して旅立ったそうです。翌日、本当に富屋食堂に1匹のホタルが入ってきて柱に止まったまま朝まで動かなかったとか。

 

 たった2日間でしたが、命の大切さを心底感じさせられた貴重な貴重な2日間でした。