日本のプログレッシブロックバンド、コスモス・ファクトリーのアルバム「ブラック・ホール」の中に「クリスタル・ソリテア」という名曲があります。
以下は、その歌詞ですが、うろ覚えなので正確かどうか不明です(´,,・ω・,,`)
このアルバムが発表されたのは僕が群馬の私立大学に通っていたときのことで、真冬の赤城おろしが吹きすさぶ真夜中によく聴いていました。

壊れた砂時計
こぼれ落ちた時の欠片が
君の前を通り過ぎて
また夜が明ける…

今でも真冬の夜空を仰ぎ見ながら聴いてみるのです。




警察官の制服を1600円で買う。僕は警察官ではないが警察官の仲間がいて、自由に警察署へ出入りしているようだ。仲間たちと仕事をしているのか遊んでいるのわからないが、警察署にいる。僕と仲間…仲間というのは織田裕二、美人の女性、きれやすく失敗すると人のせいにする男、警察官の美人女性、そしてもう一人の女性、そして…僕が登場人物だ。きれやすい男、濱田岳のような男に説教しているが、気持ちは届かない。織田裕二は彼の扱いに困り果てているのだ。僕が織田裕二に説教したことを伝えるが、あまり喜んでいない。きれやすい男とだけでなく僕ともつきあいたくないようなのだ。

美人女性は織田裕二はが好きだ。僕は警察官の制服をきて美人女性に写真を撮ってもらおうとする。ところがなかなか撮れない。部屋が狭くてモノがたくさんあるからだ。屋上で美人女性にとってもらおうとしてポーズを取ると、いってん俄かにかき曇って不気味な雲が渦巻きその中に打ち上げ花火がドンドンと打ち上げられる。画面がぐるぐる回って雲の模様が渦巻き状のマーブルになったりする。僕が花火を撮ったりしていて、結局、制服姿の写真は撮れない。警察官女性の制服と自分が着ている制服を見比べて、すべて同じだとことがわかる。特にズボンの裾を止める二つボタンと裾の布のカーブ状の切り方は同じなので喜ぶが、女性警察官は、僕が偽警官として犯罪を犯すのではないか? と不信がっている。

僕が「この人は神なのではないか?」と感じた人がいます。江戸時代の東北に生きたお医者さんで安藤昌益という人です。彼の著作「自然真営道」は、不幸にも大半が関東大震災で消失してしまいましたが、この著作の中で語られているのは「万人直耕社会」です。要は無政府主義で、できる限りの平等社会を理想とした構想です。

人は人の上に立って楽をしたがるもので、頼みもしないのに勝手に指導者になり楽をする者に先導され、強制的に働かされた挙句に働かない指導者たちに税金を収める。そしていつの間にか上下関係が生まれている…それが悪の根源であると言い、全ての者は農民となって、自分で食べるものは自分で作る、誰もが同じように働いて汗を流して生きるべきだ…ということです。

源了圜さんの著書「徳川思想小史」(中公新書)には昌益の考え方を簡潔にまとめられています。以下に抜粋しましょう。

①自然は初めも終わりもない。自然は自己原因である。

②天地は初めもなく終わりもなく、また上も下もなく尊卑の別もなく、先後の順位もなく、たださながらの自然である。

③天地も人も物も、宇宙間のいっさいのものは微塵に至るまで、相対的存在であり、相補的であり、そしてそれ故に相互作用的である。万物の相対的、相補的性格を「互性」と呼び、この「互性」ゆえに生ずる万物間(天と地、男と女、等々)におこる相互作用を「活真」と呼ぶ。この相互作用によって自然は進退を繰り返す。

④宇宙間のいっさいのものは、天と地、日と月、男と女、雌と雄、善と悪、生と死…等のように常に二つに別れて現象するが、これらは自然の一つの真なる営み(真営)の進退であり、これらの多種多様の仕方で、二つの対なるものの間に起こる進退が自然の一真営なのである。

幕末の志士たちは確証のない日本史を学び尊皇攘夷思想を育み失敗しましたが、彼らが安藤昌益の自然真営道を読んでいれば、また違った維新を迎えることができ、歴史は大きく変わったであろうと思うのです。

僕は幸いなことに断片的はありますが夢を記憶できるようです。「記憶しろ」と命じて覚醒しないうちにメモを取るんですね。特技みたいなものですが残念ながら全て記憶できるわけではないので、支離滅裂な内容になってしまいます。

夢は断片的である。眠りながらその夢に「もっと見たい」などの何らかの自らの意思を感じると、見ている夢は内容が継続拡大していくが、意思が感じられないと、次の内容に移行してしまうようだ。もしくは一つ一つが完結しているのかもしれないが、記憶できるのは断片だけなのかもしれない。

①引っ越しの夢だ。狭い階段を登る僕と妹と母の夢も見た。階上には部屋がある。そんな夢だ。母が死んでから僕の夢に初めて母が現れたような気がする。

②映画館、自宅の液晶ビュアーを持ってゴジラ映画を見に行く。自分で映画を上映するみたいで変だね。映画は何が上映されていたかはふめいである。

映画館を覗くと既に上映が終了して皆出てくる。50くらいのスクリーン向きの立派な客席椅子と、その客席に向かう横向きの椅子がある。こちらも客席だが、左側にしかない。
終了した観客が互いに挨拶している。お、中心にはM上ファンドのM上がいて、観客は皆チヤホヤして名刺交換している。僕は詐欺師まがいの成金野郎は嫌いなので、ふん!て感じでM上を避けようとするとM上が近寄ってきて肩を叩いてニコニコ笑って僕を紹介している。僕たちは知り合いなのだろうか?

トイレに行く、斜面の階段状に変な形のトイレばかり設置されていて、
すべて有料である。500円。ゲーム機に排尿愚痴があるのかないのか使えないトイレである。そこは若い女優のTとおじさんが経営しているらしい。このままでは小便ができないではないか。いつものように全体が湿っぽい。

③海の崖の上にちょっとした広場があって、その端に肘掛のように鉄パイプが設置されていて座椅子状態になっているが、崖の端にギリギリである。そこに座ると、
正面からエイのような鳥の大群 が飛んでくる。大きさは鳩ぐらいで蛾のようでもある。そのあとを巨大なエイ鳥も目一杯に現れて巨大な雲のようである。「カメラ、カメラ」とかみさん向かってに叫ぶが、(あら、かみさんもいたのか? )なかなか持ってきてくれないのでエイ鳥の群れは消えてしまった。テレビではエイ鳥のことを紹介している。カラーである。崖の下にセキセイインコの黄色や赤、その他綺麗な鳥が体にまとわりついてくる、僕の体全体をつつきまくってくる。

④地下道から三人で出てくる その前をバイクの不良たちが去っていく。以前夢に出てきたメガネの男があとから来て僕になついてくる。