2.

蓉子は高邑医師から蛭を使った瀉血療法を受けていた。蛭を患部に吸い付かせて悪い血を絞り取る治療法だ。その日も治療を終えた蓉子は衣服を整えながら高邑医師と話していた。

「この蛭は血を吸う力が強いですね、何という蛭ですか?」高邑は自分の机の上に置かれた医療用の金属トレイを見つめている。トレイの中には蓉子の血を吸い尽くしてパンパンに膨らんだ蛭が6匹蠢いている。

「先生・・・」
「あ・・・申し訳ない、何ですか?」
「この蛭は何という蛭なんですか?」
「ああ・・・ヤマビルですよ」を見つめながら高邑は答えた。
「ヤマビル?」
「山の中に生息する小さな蛭で、登山はもちろん、ちょっとしたピクニックでも人の身体に吸い付いちゃう奴ですよ」高邑は椅子を回転させて蓉子に向き直って微笑んだ。高邑の瞳は深い湖のように青い。吸い込まれそうな魅力がある。

高邑は60歳を超えているようだが、180センチほどの身長を支える骨格はしっかりとして姿勢もよく、青白い皮膚には張りがあり、細面で美しい顔には皺もない。ふさふさとした真っ黒な髪の毛には艶があり、若さに満ち溢れた青年のようだ。以前、蓉子は不思議に思って高邑に年齢を聞いたことがある。その時、高邑はニヤリと笑って「60歳を超えていますよ」と言った。蓉子は驚いた。思わず「ええっ!」と少女のような驚きの声をあげてしまった。

蓉子は高邑に恋心を抱いていた。30歳以上も年が離れているが、高邑は他人のような気がしない。親以上の親近感がある。時々、蓉子は”自分の肉体を少しずつ高邑に食べられてしまう”ような恐ろしい感覚に囚われることがある。

「へぇ、そうなんですか? 怖い蛭なんですね・・・」
「血を吸うときにヒルジンという覚醒物質を放出して人の神経を麻痺させるから痛みを感じさせずに吸血するんですよ」
「はぁ、だから痛みを感じないんですね、長時間ってどのくらい血を吸うんですか?」
「自然では1時間くらい、自分の身体の10倍もの量の血を吸うんです」
「何だか恐ろしい・・・でも、治療では数分ですよね・・・。そういえば蛭を皮膚から引き剥がすときに使うそのスプレーに入っている液体は何なのですか?」
「はは、これ・・・ですか?」高邑医師は小さなスプレーボトルを持って、シャカシャカと振っている。
「ええ、何ですか・・・それ?」
「ご心配には及びません、変なものじゃありませんよ。ただの濃い塩水です」
「え、塩水で蛭が皮膚から離れるのですか? ふぅーん・・・ナメクジみたいですね」
「蛭はナメクジみたいに溶けはしませんけどね。実は、私も塩が苦手です。塩で皮膚がかぶれるのでこうやって特殊な手袋を使うんですよ」高邑は手袋を引っ張って離すとパチンと音をさせた。

今まで気がつかなかったが、高邑は、ゴムと布の中間のような肌色の手袋をしている。

「塩アレルギー・・・ですか? 聞いたことがないですけど・・・」
「はは、食塩に含まれる不純物によってアレルギーを引き起こす場合があります。でも、僕は塩が苦手なんですよ」