皇極天皇の御世、大化の改新が始まる1年前の644年、富士川のほとりで大生部多(おおうべのおお)という男がアゲハチョウの幼虫(青木さんはカイコだと想定する)を手にして村人たちに向かって叫んでいた。

「これは常世の神だ。この神を祀れば富と命が授かるぞ!」

ただの虫を神と信じさせる彼の話法、かなりの説得力があったらしく、周辺の村々で得体の知れないものを祀って自主信仰していた巫女や祝(ほふり)・・・合わせて巫祝(ふしゅく)たちの心を掴んで使徒にしてしまった。

「虫を祀れば貧しいものは富み、老人は若返る」とふれ回り、信者の家に酒肴を用意させて、道端には家畜を並べて叫ばせる。

「虫を祀って財産が増えた!」

たちまち信者が増え、幕末のええじゃないか的な大騒ぎを繰り広げながらさらに信者を増やしていった。信者は財産を河勝に捧げてしまったので、朝廷にも損害が及んだ。

この噂を聞いて秦河勝(はたのかわかつ)という京都太秦に住む渡来系の豪族だった。河勝は以前、聖徳太子から仏像を賜り広隆寺を創建した男だ。祖は秦の始皇帝という説がある。朝鮮半島を経由して日本に渡来し、聖徳太子の側近となり朝廷の財政に関わっていたとされている。

河勝は大生部を捕らえて「いたずらに人心を惑わす奴め」と殴打した。大生部に随行していた巫祝たちは、それを見て逃げてしまった。あっという間に

人々は次のように歌って河勝を称えた。

太秦は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲ますも(秦河勝は、神の中の神と言われている常世の神を、打ち懲らしめた)

人心を惑わせる宗教家も、それを恐れて討伐する権力者も同じ穴の狢。一番悪いのは声の大きなものの意見に左右される一般市民である。