お疲れ様です。

 

久しぶりのブログ更新になります。

サボってしまい申し訳ないです💦

 

先日、義経の家来のすごさをお話する前に

義経と義経の家来の中で最も有名な武蔵坊弁慶との

出会いについてお話しました。

 

今日はもう少し、掘り下げていきたいと思います。

 

京都の五条大橋の決闘に負けた弁慶は清水寺でも

義経に再度、決闘を申し込んだという逸話があります。

 

 

清水寺での再戦でも敗れた弁慶は

ここで義経の家来になることを決心したといいます。

(※これにはいくつか諸説あります)

 

そこから弁慶は義経が衣川で

自害するまで離れることなく、臣従します。

 

歴史上の中でも、

数少ない主人と家来を超えた堅い絆って感じがしますね。

 

義経と弁慶との堅い絆を表す多くの逸話があります。

 

衣川の戦いで義経が自害しするとことを身を挺して

守ろうとする弁慶立往生。

 

安宅の関で関守に山伏に扮した義経を見破ろうとしたところを

機転を利かし、なんとか安宅の関を通り抜けます。

これが世に言う安宅の弁慶ですね。

 

 

まぁ他にもありますが、

義経と弁慶の逸話はここまでにしておきましょう。

 

正直、義経って偉人の中でも地位とか名誉という点でいうと

あまり高いという感じはしない印象が強いです。

 

それに勢力、権力もそこまで大きくないように思います。

 

ですが、歴史が好きではない人でも多くの人が知っている人物です。

それは戦が強かったということもあるでしょうが、他者からみても

羨むような主従関係を弁慶を含めた多くの家来と

築いていたという逸話が数多く残っているからではないでしょうか??

 

兄の源頼朝、平家の棟梁である平清盛にも

そういった逸話はあるかもしれませんが、あまり伝わってないです。

 

それだけ、義経の主従関係が素晴らしい関係性であったのではないでしょうか。

 

多くの仲間とビジネスをしていく上で、

義経の家来との関わり方、関係性の築き方というのは

非常に参考になると思います。

 

ぜひ、参考にしてみてください。

 

明日は義経の家来のすごさの核心について

お伝えいしたいと思います。