先日、中学校時代の友人、一青(ひとと)からLINEがきました。
「なべちゃん、今度の日曜日、時間を作ってくれ。話があるんだ」
彼と会うのは久しぶりなので、また暇なので快諾しました。
落ち合う場所は、品川の高輪プリンスホテル。昔通っていた中学校のそばです。
ホテルのレストランで待っていたのは4人でした。
懐かしいメンバーです。一青、小林、遠藤、それに熊坂達でした。
みんな何かしら病気もちで、持病の術後の話やどこの病院に行っているんだとかの話ばかりでした。
私:「一青、今日の話っていったい何なんだ?」
一青:「実は同期会をやろうと思っているんだ。じつは熊坂から今やらないとみんな死んじゃって会えなくなっちゃうなんて言うもんだから、この4人で同期会開催の話となったんだ」
私:「それはいいんじゃなの。是非やればいいと思うね」
一青:「そこで話だよ。なべちゃんに幹事を頼むために来てもらったんだ」
私:「えっつ。冗談!! 言い出しっぺの熊坂か一青が仕切ればいいじゃん」
一青:「なべちゃん知っての通り、我々4人は体の調子が悪いのと、なべちゃんは中学校時代の2年生と3年生の2年間、ずっと学年のリーダーだっただろう?それに一番元気そうだし。」
私:「それで俺っ!」
“まさか中学時代の同期会の話で呼ばれたとは思ってもいなかった”
実は10年位前に一度同期会をやったことがありました。
今回の同期会は60年目という区切りでやろうというのです。
ただ卒業して今年でもう63年も経ってしまいましたが。
先生たちはみんな鬼籍に入ってしまいました。
またどのくらいの仲間(クラスメート)が集まるかわかりません。
一青が「10~15人は来るよ。我々4人でそれなりに聞いたところ、結構連絡が取れたんだよ。」
熊坂が「全体で多分だけど、50人くらいは来るんじゃないかな」っていうではありませんか。
私の中学校は私立のミッションスクールで、男子校だった。一学年は一クラス40人足らずで、4クラスしかなかった。そのため、同期の生徒はみんな幼なじみのような関係で、その親密さは友人というより、同い年の兄弟といったほうが早い
10年前の同期会の会場では、2年生当時の模様がわかる8ミリフィルムが映し出されました。
栃木県の那須温泉で4泊5日を過ごした林間学校の様子でした。当時、70歳に近くなった級友たちはみな息をつめてスクリーンを見つめていました。
8ミリフィルムは当時の那須の山々や黒磯駅、また東北本線の車内までも克明に記録していた。
しかも当時としては珍しいカラーフィルムです。8ミリカメラといい、またカラーフィルムといい、当時のことを考えるとそうとう高価なものだっただろう。いくら私立の学校でもこんなお金持ちの友人、イヤ、親がいたのかと思ってしまう。
撮影者は中野君のお父さんで、運動会や学校行事の様子を、カラーフィルムで撮影していて下さっていたのだった。その映像は 自分の子である中野君の姿はあんがい少なかった。誰が見ても生徒皆を等しく映し出されていたのがわかる。
まるで50年後のこの同期会の為に用意してくれて、撮影なさったかのように思えた。
スクリーンに恩師の姿が映し出されたとき、私の胸は熱くなった。映像には音はないが、恩師が私に向かって何かおっしゃっている。
私はやんちゃでいたずらで、学級の問題児だった。
「君はなまいきだから、批評家にでもなればいい」
礼拝のあとで先生が微笑みながらおっしゃった言葉を、私は今もはっきり覚えている。フィルム上映が終わったあと誰が言い出すともなく、「次の同期会は那須に行こう」と決まった。当時、新幹線はなかった。JR黒磯の駅も様変わりしてしまったが、那須連山の勇姿や森や高原は昔のままだろう。
一青:「今度の同期会でもあのフィルムを映そう」
熊坂:「なべちゃんは、那須に別荘を持っているんだから説明しやすいよね」
小林:「一青は膀胱がん、熊坂は胃がん、遠藤は大腸がん、それで俺は事故で右手が使えなくなってしまった。なべちゃん、頼むよ!」
最後に遠藤が、
「高齢になると資産は増すが、身体的な能力は大きく低下していくんだ。だから動けるとき、また会いたい仲間が生きているときにしたいんだ」
完全に押し切られてしまった。