自分の置かれた場所や立場を嘆くのではなく、そこでただ自分のなすべきことに打ち込む。
渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』を読み、私は、その「自分のなすべきこと」は「自分の花を咲かせること」と勘違いしていました。でも、そうではないということを、『ルピナスさん』と「ことりの木*makiさん」が教えてくれました。
せっかく生まれてきたのだから
なにかを成し遂げて
自分らしい「花を咲かせよう」
…という価値観もあるけれど
「種を蒔く」ということは
多分 自分のためではなくて
もしかしたら種を蒔いても
自分は どんな花が咲くか
見届けられないかもしれないし
蒔いている時には
他人には その意味がわからないかもしれないのです
でも
どんなささやかことでも
どんなにちっちゃい種でも
いつか誰かのために
次の世代ののために
誰かの心のほんの片隅にでも…
誰が蒔いたのかなんて わからなくても
種を蒔くことができたらいいなあ
makiさんのブログの中から抜粋した言葉です。
私が大学を卒業するとき、色紙に「ただ人のために尽くされた人生こそ真の人生である」と言葉を寄せてくれた人がいました。その人は、その言葉通り、自分のことよりも人のことを第一に考える人だったため、ひときわ感銘を受けたことを思い出しました。
大事な言葉に出会っていても、よくその言葉を忘れてしまいがちです。
でも、必ずだれかが、その言葉を思い出すきっかけを与えてくれます。