西暦3404年の未来世界。荒廃した地上に住めなくなった人類は、地下に巨大都市を築きました。
巨大都市の一つ、ヤマトは電子頭脳ハレルヤが支配し、別の巨大都市レングードは聖母機械ダニューバが支配していました。人類は、機械が下した決定に従って生活を営んでいました。個人的な感傷に溺れやすい人間の政治家より、機械の判断に頼った方が間違いない、そんな考えが世を支配していたのです。
ところが、ある時、一つの問題について対立した二つの機械が下した結論は、「戦争」。人間は、抗うすべなく破滅への道のりを辿るのでした。
手塚治虫さんの『火の鳥 未来編』は、自分の作った機械のために規制される人間の愚かさを描いています。
AIに「地球にいちばんいい環境とは何か」を考えさせると、「人類が最も悪影響を及ぼすので、排除しよう」という結論を出すそうです。電子頭脳ハレルヤや、聖母機械ダニューバが下した判断は、結果的には、これと同じなのでしょう。しかし、AIの判断が間違いであると自信をもって言い切るためにも、どこかで人間は、自分たちの中に孕む間違いに気付くべきだろうということも『火の鳥』が教えてくれました。
中国では不老不死のホウオウ鳥と呼ばれ、ヨーロッパではフェニックス(不死鳥)と命名された「火の鳥」は、気の遠くなる年月の中で、生物が滅びて、また現れて、進化して、栄えて、滅びるさまを、何度も見てきました。
『火の鳥 未来編』は、「火の鳥」が語る次の言葉で締めくくられます。
人間だって同じだ
どんどん文明を進歩させて
結局は自分で自分の首をしめてしまうのに
「でも今度こそ」
と火の鳥は思う
「今度こそ信じたい」
「今度の人類こそ
きっとどこかで
間違いに気がついて・・・」
「命(いのち)を正しく使ってくれるようになるだろう」と…
(手塚治虫、『火の鳥 未来編』より)