昨日、訳あって朝早くから埼玉の桶川にある、実家に帰っていました。

4歳で僕がここに引っ越したばかりの頃は、
「まんが日本昔ばなし」
みたいな田舎だった。
すごいいいところだった。
  
その後、どんどん住宅地化していったけど、今でも僕の実家の周りは、まあまあ、十分に田舎。
でも、これからもどんどん変わっていくのだろうなぁ、、

 


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この写真の「桶川の実家」に、4歳で引っ越してくる前は、千葉市の花見川区花園、ってとこに住んでた、駅で言うと総武線の新検見川です。
そこが僕の生誕地、と言うわけですね。
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母の実家があって、そこに、建築屋だった親父が母の実家の一番端をぶち抜いて二階建ての小さな家をくっつけて増築して、住んでた。
その家には台所はなくて、母方の家族、つまり僕の祖父母、叔父、叔母、たちとみんなでご飯食べてた。
まあ、4歳までだからそんなにしっかりは覚えていないけれど。
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僕が生まれた時には、もう、家の周りはアスファルトで区画整理された住宅地で、大人の足で3分程度のところにある大きな公園まで行かないと土はなかった。

あ、、うそ、家の小さな庭には土があった(笑)


時々ライブでも話したりするけど、母の実家、その家は、三味線職人の家で、、、、
三味線作ってる工場、なんて見ることなかなかないでしょ、
こんな場所。

 


三味線に使う、紅木(こうき)は、とても硬いので、削ると粉がすごく細かい。だから、もう家のそこらじゅうに染み付いてしまって、赤いんです。
今、たった一人で作っている、三味線職人の叔父なんかは、手の皮の中に紅木の粉が入り込んで、何十年もそうやってるから、手が赤い。

新検見川には検見川神社、と言う神社があって、そこが僕にとっての産土様、とかそういう事になるんだろうか。
その近くに「シタール」と言うインド料理の名店がある。
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実は、昨日、夜に桶川の実家から帰る、高崎線の中で、メッセンジャーで知り合いのミュージシャンから、
「今、シタールに〇〇さんときてます」
と、やはり知り合いの作曲家でありスーパーエンジニアである方と、おそらくはレコーディング関係のみなさんでテーブルを囲んでいる写真が送られてきた。

桶川の実家に行き、僕もそんな年になったんだなぁ、、
って言う用事をして、帰る電車の中で、

これからの若いミュージシャンから、
僕が「生まれた街」のインド料理屋で仲間とワイワイ食事をする写真が送られてくる。
  
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ただの偶然なのだろうけれど、
ただの偶然なのだろうけれど・・・。

時代はこうやって移り変わっていくんだなぁ、、
と、しみじみと思いました。

とりあえず、、桶川、日帰りにはやっぱり遠すぎる・・・・・、