12月なのです。
今年もあと1ヶ月で終わるのですな。
      
昨日、いろいろ用事があって、二日続けて銀座へ。
17時ちょっと前ってところかな、銀座の空がなんとも綺麗で、僕以外にも写真をとっている人がたくさんいました。

 

夕暮れは変化の象徴だ。

高校卒業まで住んでいた埼玉県桶川市の実家は、今はずいぶん変わってしまったけれど、僕が中学校に上がるくらいまで、北西から北東までが2軒の民家がある以外遮るものなく草むらと田んぼだけでの地上にずどーんと空が開けた場所だったから、夕焼けは半ば強制的に目に入る暮れてゆく西の空の色の推移が大雑把な時計のように機能していて、毎日はもっと空とともにあった。
雨の日には見えない夕焼けが雲の上に広がっているイメージを持てたし、曇りの日は、雲が薄くなった場所から透けていた。

オレンジ色が茜色になり少しずつ空の天辺から夜の色に変わっていくと、これから暗くなって1日がおわるんだなぁ、と、いつも空を見て思った。同じような毎日に、目に見える変化はなくても確実に時は流れていて僕は着実に成長していて、いつかこの家を去り、この風景が僕の当たり前では無くなる時がくるんだという感覚に圧倒的なリアリティを持たせていたのが、夕暮れ時だった。

 

なんてことをちょっと思い出した銀座の午後17時。
空の写真を撮っていた人はみんな、特にそんないろいろ考えてはいないんだろうけど、たぶん、似たような思いは持っているんだろうと思うのです。
   

   
「東京には空がない」
智恵子がいうのです。

〜 智恵子は東京には空がないといふ 〜
      

あたたら山の上にでた青い空こそ空だと故郷を思う智恵子の心はわかるのだけど、
それを愛おしいと思う高村光太郎のいじらしさもなんとも素敵だけれど、
   
東京の空も悪くない。
銀座の空は、それはそれで、ちゃんと、時も冬も、みせてはくれるものだよ。