オンライン配信販売開始は、
6月13日に、正式に決定いたしました。
        
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「世界中でたったひとつの
   ひとり分の宇宙」の事、その1。 

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一般流通、オンライン化を頑なに拒み続け、
ユウサミイストア、と、ライブ手売り、
でしか買えないCD、
「ミュージシャンの手から直接聴き手に」
に、こだわってきた、
        
「世界中でたったひとつの
        ひとり分の宇宙」
          
ついにオンライン配信を決めて、一つ前の投稿で、書いたように、5月の後半、配信用にリミックス、そして2曲を追加する作業に没頭していました。
              
     
僕は自分の作った物を聴き返すのがあんまり好きではなくて、本当に久しぶりにこの作品に真剣に向き合って、作業の中で何日も続けて聴き直して、改めて、これを作った事をなんだか誇りに思いました。
       
レコーディング、ミキシングに関しては、一応もっと簡単なものは作っていたものの、本格的にはほぼ何にも知らないところから、1年半かけて必死に勉強して作った。
いわば、完全な素人からこれを作ったのか、、、と、今になってとても不思議に思うし、この経験は、のちの僕の活動の中で、技術的知識的に大きな財産になりました。
     
「財産」
     
象徴的な意味ではなく、CDの売り上げとは別に、その経験と知識、技術は、活動と生活を支える「お金」を産む、文字通り「財産」になっていきました。
    
制作していた頃、発売直後、などはfacebookでも、制作過程等について話していましたが、2016年あたり以降から僕を知って、このCDを購入してくださった皆さんは、そう言うところ、ほとんどご存知ないだろうと思います。
     
今になって、制作に当たっていた1年半、本当に必死だったあの1年半は、その間に、日本完全帰国も挟み、仕事も増え始めて食えるようになり、途中がんばりすぎて病気になって救急車で運ばれて死のフチをさまよったり、僕の人生の中でも極めて大きな意味をもつ期間だったと思います。
         
オンライン配信は、6月13日で決定いたしました。
それまでの、間、少しずつ、このCDができるまでの事、今覚えている範囲で、備忘録的に残してみようと思いました。
              
2012年の終わり頃、新しいアルバムを作らなきゃ、って思いました。  
   
まだ、オーストラリアの家を売る前のことです。
 
恥ずかしながら、その時の僕には、お金がありませんでした。そしてまだライブをする以外に「お金を作るための売り物」もありませんでした。
          
「オーストラリアには、家がある。
 (モーゲージ(住宅ローン)
  支払い中だけど・・・)」
         
それだけを心の頼りに、オーストラリアに帰ってる時は(当時はまだオーストラリアベースだった)ストリートミュージシャンをして生活費を稼ぎ、日本ではまだそんなにたくさんの人も集められず、ありがたい援助をくださったパトロンとも言うべき人たちにすがりながら、ギリギリの生活でしのいでいた時期です。
お金がない事が一番切実だったと思うし、それが全てを限界の本気モードにする重要な要素だったとも思います。
      
僕は基本的に弾き語りのミュージシャンだけど、もともとロックなどバンド音楽が好きだったし、若い頃、バンドでベースを弾いていた事もあってか、頭の中で歌ができる時、なんとなくバンドの音が鳴っていて、それを、弾き語り、と言う、ギター1本の演奏形態にアレンジして演奏している、と言うスタイルです。
僕のギターが、なんとなくバンドっぽいと言われる所以はきっとそこにあるんだろうと思います。
       
この、頭の中で鳴ったバンドの音、を、きっちりアレンジにして、完全にそのままCDとして製品化したい。
そう思ったのです。
普通にエンジニアを入れてレコーディングすればそれでいいはず、なのですが、それには莫大なお金がかかる。
資金援助をして貰えば、自分の思い通りにはならない。
そして、ただ、そこに友人がいて意見を言われれば、そう言う友人は大抵その世界で活躍している人なので、どうしてもその意見に影響を受ける。
  
自分がなんとか賄える予算の中で、自分の思い通りのものを作るたった一つの方法、、
僕が割り出した答えは、
         
機材を揃えて、全てを一から勉強して、完全に全て、
自分一人で作る。
     
でした。
僕は若いころよく、先輩のバンドのデモテープや、海賊版のCDや、友達のバンドでいいなって思うバンドのライブでとったテープを聴いていた。
大好きで、いつも聴いてた。
ひどい音質だった。
   
そして、ミュージシャンになろうと思ったときにこの写真の部屋で作ったデモCDが、各所で評価されたと言う思いがあった。
        
音楽のプロに聴かせたいんじゃない。
普通の、一般の人がこれでいい、と思うレベルまで、そこまで作れたらいい。
  
エグザイルや、浜崎あゆみ、のような音はもちろん見込めない。それでも、一般の人が聴いて、音楽として聴けるレベルまで持っていければ、売り物になるはずだ、そのくらいまでは自分でできるはずだ。
そう思い、そう信じる事、信じむ事を決めました。
 
今まだって、ほぼ不可能だって言われたことを僕は達成してきた。自分の勘を信じ込む事に全ての意識を注ぎました。        
     
それが、人生最大の「いばらの道」の始まりでした。
         
現実的で一番簡単に使えそうだと思った、Appleの「Logic Pro 9」と言う音楽制作のアプリケーションを使う為に、まずMacをしっかり使えるようになる事、と考え、Mac Book Pro を買って、2013年の4月にオーストラリアの家を売る最終段階として、不動産屋との中継ぎの為にオーストラリアに残してきた奥さんの待つゴールドコーストの家に帰りました。
     
結果として家が売れたから、2ヶ月半後の6月の半ばには、通常のCD制作の予算はがんばれば出せたのかもしれない。 
でも、このとき、僕はもう、お金云々よりも、絶対に自分一人で作る、と息巻いて、気が触れたようにそれに固執するようになっていました。
      
「Logic Pro 9」を使いこなす為に購入した、電話帳みたいなマニュアル本は、書いてある単語の意味がちっともわからない。基本的に名詞は6割はわからない。と言うか知らない。
間違いなく英字新聞の方が3倍くらいのスピードで読めるような代物でした。
新しい言語を習っているような気分になりました。
           
2006年に、最初の「自主制作お家CD」を作った、この写真の部屋で、全てがスタートしました。
当時の僕の家の、僕の部屋です。
  

            
タンスの上にMacを置いたり、ベッドに置いたり、床に置いて勉強しながら居眠りしてたり、とにかく、まず、書いてある事の意味がわかるように、マニュアル本とMacで勉強をはじめました。
          
       
「世界中でたったひとつの
   ひとり分の宇宙」の事、その2
           へ、、続く。