約14年前に初めて就職して人生初の正社員として運送屋に就職。
1年半が過ぎた頃に何てこと無い交差点で赤信号進入して来た自転車と接触事故。
本来接触相手の介護をしないといけない立場の自分はドライバーとしての仕事を正社員として間違った責任を感じ自身の保身を考えその場から逃げた。
いわゆるひき逃げに当たります。
当日めっちゃ悩んで明日の仕事、事故の事。

やっぱりアカンと思い数時間後に警察に出頭。
相手が幸い軽傷だったことから刑事処分にはならず後の道交法処分。

でもドライバーとしての選手生命は絶たれた。

その時期に久しぶりに事情を聞きつけた父親から心機一転、地元を離れ思いの有る自動車業界を形にしないかと千葉県に有る整備学校の入学を打診された。

ここから自分の人生が劇的に変わった。
学校は適度に勉強して適度にサボって進学、卒業出来る様に通い、同時に兄からも自分が副業でやっていた輸入タイヤの販売を代理店としてやらないか?と言ってもらい、通学中は両立しながら生計を立てていた。
そして晴れて卒業し暫くすると輸入タイヤの業界も大手の台頭にリスキーな状態が続き、のち働いていた事業が撤退し自身の進退を兄貴と相談して今後どうするか?を3択で答えた。
『大阪に戻り再出発』『立ち上げ当初の飲食業で働く』『海外に行く』

冗談で言った海外に行くが半ばパワハラ並みに逃げ場無い状態の選択肢になった。

今考えると2003年3月、2006年の11月が自分の人生の最大のターニングポイントやったなと思います。

追憶や軌跡にとらわれず、立ち飲み屋のおっちゃん見たいに過去の栄光ばかりを酒の肴にする様な事にはなりたく無いので諦めない人生、やりきる!挑戦する!

そんな30代を送りたいと思います。


最近八幡屋店では高校生のバイトを良く採用しているので人生の選択肢になればと思います。


やるかやらないかそれよりもどうやるか考える‼︎