「勝利」以外の目的はあるのか? | 豊嶋邑作オフィシャルブログ「Grande Responsabilité」Powered by Ameba

「勝利」以外の目的はあるのか?


日本の皆さん、おはようございます。



ようやくWi-Fiが繋がりました。

セルビア語で モデム と言うと、Wi-Fiをリセットしてくれます。レセプションの綺麗な長身お姉さんが♡笑






さて、、、




今日も公式戦がありましたが、



2戦連続のベンチ外。。。





当然、チームも敗戦。。。





じゃあ、サッカークラブの定義って何なの?って考えると、



勝利


だと思うんですよ。




チームの勝利のために、そのクラブに関わるすべての人間がベストを尽くし、




そして、 勝利 によってその関係は成り立っているんです。





選手がプレーする、


監督が指揮する、


コーチが指導する、


幹部が補強する、


ホペイロが雑務をこなす、


整備係がグラウンドを整備する、


ファンがスタジアムに駆けつけて応援する etc・・・





それらすべてのことが 勝利のために という定義のもと成り立っているのが、サッカークラブだと思います。





だから、どんな理不尽なことであろうと、




というのは、海外ではその 理不尽 というのは頻繁に起こりますし、



以前のブログにも書いたように、それが起こることじたいは仕方のないことだという認識、経験というものはこの4年間で学んできていますので、



受け入れて自分の成長に繋げられるように努力することは変わらず怠ってはいけないと、その責任はどこにぶつけるわけでもなく、


自分にあるわけで、



それはやる。ということなのですが、





勝利のため



ではないことには、




それは黙ってはいられませんし、許せません。





例えば、個人的な感情で、選手を起用する、外すといった類いのこと。





でも、それでチームが、それでもチームが勝っているのなら、それは正しいとか正しくないとか関係なく、




サッカークラブの存在意義、定義が 勝利 である以上、それはそれでいいと思うんです。





それで外されてしまっても、仕方がないと受け入れるしかない。





しかし、それでチームが負ける、勝てる可能性が明らかに低くなる、




それでも個人的感情から起用しない、 のは、職場放棄同然で、完全にプロフェッショナルのそれからは外れていますし、





理不尽というか、理不尽という言葉にすら失礼で、



選手は誰もが 勝利のため にプレーしているのに、そういうクラブになってしまうのは、残念だなというか、悲しいなと思います。





その当事者が、自分だということも、



悲しいし、寂しいですよね。





今週末の試合を終えたら、中断期間に入るので、



何とかこういう状況がね、終わってくれればいいなとは思いますね。








っていう状況だったので、なかなか更新する前向きな話題もなかったですし、


そのタイミングでWi-Fiも切れてしまっていたので、更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。








コメント返信のコーナー^^



>ともともさん
繋がりました^^笑

まず、勉強のためにサッカーの時間を削るとか、逆にサッカーのために勉強の時間を削るといったことはしたくないなっていうのが原点ですね。

そうなると、 何もしていない時間 無駄な時間 を上手く利用して、効率的に時間を使っていました。

例えば、電車の移動時間が、柏の練習場に行くまでに往復2時間ありましたので、小・中で考えれば、2時間集中して勉強すれば結構十分な時間だと思うんです。

それに加えて、授業中に習ったことはその授業中に覚えるように努めていました。


それだけ 授業 は大切ですし、 授業中 は何があっても勉強しかできない時間あので、やっぱりその時間に最大限の力と集中力を使うべきかなーって思います^^

がんばれー^^




>はむうりさん



輪湖君のゴール、ハイライトで観ました^^

もちろん、武富くんのも!


こんな状況だったので、少し元気と勇気とやる気もらいました^^