VS SKONTO
心待ちにしていた熱い90分は、抱えきれないほどの悔しさと、意味ある自信と、計り知れない運動量の割に、感じることのなかった疲労感の中で、あっという間に終わった。
ドーブリジェン!!
今週は試合がないため、今日から3日間のOFFです^^
今は、昨日の90分を回想しながらブログを書いています。
これが、優勝争いを懸けた大一番なら、あるいは抱える悔しさも違ったかもしれない。
けれど、現状、この一戦は、自分にとっては、今の自分の力を測る絶好の物差しとなる試合、相手でしかなかった。
0-5という大敗は、はっきり言って仕方がなく、それはただ受け止めるしかない。
個人的に悔しいのは、その 惨敗 ではない。
これが、仮に 0-0 でも、
逆に言えば、こっちが 5-0 で勝ったとしても、いま自分が抱える悔しさは変わらないだろう。
それは、生み出された数字の中に、自分の刻んだ数字がないということだ。
その悔しさを抱えきれないほど大きくしているのは、刻み込めるチャンスを、個人として作り出していたのに・・・だからである。
チームとして大苦戦することはわかっていたし、
終始、守勢に回ることも覚悟していた。
その中で、いかに自分がボールを持った時に、危険なことをし続け、
個人で風穴を開けられるかということだけに、こだわっていた。
攻撃でも守備でも、1対1は絶対に負けない。
それだけに、こだわった結果、90分が終わった時に残っていた感情は、悔しさだけではなかった。
悔しさと表裏一体の、 自信 である。
例えば、一般的に自分がハットトリックした試合で負けたとしたら、
勝てなくて悔しいです。
と言うだろう。
でも、その 悔しい は、 自信 と表裏一体の 悔しい であろう。
だからこそ、悔しいのである。
自信を得られるパフォーマンスだったのに、結果が残らなかったこと、残せなかったことが、悔しさを増幅させ、自分への怒りにも似た感情になる。
この試合ではっきりわかったことがある。
まだまだ 自分が目立つための個人技 でしかなく、
それでチームを勝たせたり、流れを変えたりできるレベルまでは突き詰めきれていないということを。
メッシやロナウドはそれができるから、スーパースターである。
いい物差しをもらった90分だった。
もっと大きな物差しに出会えるよう、やり続けるしかない。
2013年、もしかすると一番意味ある90分で、もっとも意味ある時間だったのかもしれない。
自分ならできる。
そう確信した90分でもあった。
「あいつをどうやって止める??」
ハーフタイム終わりに聞こえてきたスコントDF陣の言葉と、
「とても良かったぞ」
普段ほとんど選手のプレーに対して口を出さないドクターの試合後の一言が、
僕に貴重な睡眠時間を提供してくれた気がする・・・。
そして今、僕は寝ぼけ眼をこする代わりに、ブログのタイピングに、この 貴重な手 を使うことができている。
眠ることができれば、夢を見ることができる。
その 夢 を掴むのは、今、まさにキーボードとの激闘を戦っている 手 ではない。
激しい戦いを終え、地に足つけて、次なる爆発の時を、虎視眈々と狙っている、僕の 商売道具 足 である・・・。