自分が4歳の頃は・・・。
日本の皆さん、こんばんは。
ベルギー在住の皆さん、Bonsoir!!
モルドバの皆さん、ドーブレビーチェル!!!
オリンピアの赤い閃光 豊嶋邑作 です。
ベルギーにいた時、僕が一番お世話になった家族。
この家族なしに、自分のベルギー生活は語れない。
サッカーと同じくらい、ベルギーで生活する上で大切で自分を支えてくれたもの。
記念すべきオフィシャルブログ開設デビュー記事で紹介したご家族。
そのお家の赤ちゃん。
俺の愛する弟。笑
悠理^^
当時は1歳とちょっと半年くらいだったけど、あれから1年。
赤ちゃんの1年の成長はもの凄い。
たまに悠理の様子や写真を見ると、いつも驚かされる。笑
兄貴としては、ものすごく嬉しいような、寂しいような・・・。笑
そんな悠理も、もうすぐ幼稚園に通うようになるんだって!!
そのための 仮入園? みたいな感じで、この前幼稚園に行ったみたいなんだけど、すぐに馴染んで、帰り際には 「帰りたくない!!!」 って大泣きだったとか・・・。笑
悠理には日本人の血もベルギー人の血も流れてるから、ベルギーの幼稚園は、俺で言う 日本の幼稚園 と同じ感覚なのかもしれないけど、でも、同じ 日本人の血 を持つものとしては、ただただ感心するしかありません。笑
当時4歳の俺が、初めて異国コスタリカの幼稚園に登園した時の 恐怖 は今でも忘れず鮮明に覚えてるから・・・。
悠理より2つも上の4歳で幼稚園に行ったのに、実質コスタリカ1年目(コスタリカ1歳)だったから言葉も当然わからず、右も左も前も後ろもわからない。
そんな状態で入れられたもんだから、本当に怖かった。
まだ幼稚園にいる間はマシ。
お母さんが迎えに来てくれるのを待てばいいと思ってたから。
でも、なんとビックリ、帰りは幼稚園バスに無理矢理乗せられ、見たこともない場所(遠い子の家から回って降ろしていく)へとバスは走っていく・・・。
家に着く
ってわからなければ、きっと大人でも恐ろしい。
それを4歳で経験した。
もう死ぬと思った・・・。本気で。
当然、泣きじゃくった。
どのくらいたっただろうか。
窓からお母さんの姿を発見した時の 安心感 はこの21年の人生で圧倒的に一番。笑
言葉では表せないくらい、安心した。
その時の感情や情景は今でも鮮明に覚えてる。
今からでは考えられないくらい弱虫だったのかもしれないけど、この経験があったから、それ以来、どんなことにも動じることはなくなった。
度胸の原点。
このほかにもたくさんある。数え切れないくらい。
でも、生まれてすぐ谷底へ突き落とされたルフィではないが、幼少期の荒療治によって得たものが、今の自分を支える大きな要因になってることは間違いない。
何の手助けも与えず、一見 ジャングルへ放り込んで育ててくれた 両親に感謝したい。笑
恐怖を知って、
厳しさを知って、
でも、それを優しさと愛で支えられて育った幼少期の経験は、豊嶋邑作の宝物です・・・。
悠理には、同じような恐怖と厳しさは味あわなくていいから、たくさんお友達を作って、たくさん遊んで、たくさん笑って。
時にはたくさん泣いたり怒ったりもするかもしれないけど、幸せたっぷりで 宝物 って言える幼稚園ライフを送ってもらいたいと、兄バカのお兄ちゃんは心から思ってます。笑
すくすく育って、いつか一緒にサッカーやろうね(^o^)
コメント返信のコーナー^^
>さくらのうたさん
とんでもないです。こちらこそありがとうございます。
僕は、決断した道を、一所懸命歩むその 過程 にこそ意味があると思います。
結果が全ての世界に生きてる自分だからこそ、過程やプロセスが何よりも大切だと思っています。