守るべきもの | 溝の底に咲く蓮の花

溝の底に咲く蓮の花

アダルトチルドレン、不登校、いじめ、メンタルヘルス、機能不全家庭。
私自身の経験から感じたこと、得たことを綴っています。
何かとのこるものが有れば、役に立つことがあれば。

溝の底に咲く蓮の花の様に強くほんとの真の美しさのように。

沢山ありすぎて。死ぬまで色々書いてもまだ書き足りないし終わりない‼️

私は、幼稚園から中3まで、国立大附属の学校にいました。エスカレーター式で、他校から若干入って来るけどほぼ変わらない面子で!学生の時の話、学校の話、田舎の話になると、ほぼ附属の話です。


幼稚園から上京するまでなんせ、11年過ごした場所ですから。

附属は、全てでした。全てです。

国立大の附属、勉強だけで全てを見る!勉強、勉強のエグい価値観の中で苦しめられた。小学生一年の小さな時から、自らの意思ではないのにそれがそこまで大事か!私には、合わない環境。。勉強苦手なんで尚更きつかったのも事実だけど。

附属だけど、いじめ、学級崩壊だってあって。よりによって、私は、そういうクラスにあたるはめに❗

たまたまたまたま、時と場所とか重なり、たまたまたまたま、それが起きた時にそこにいたからそういう事になっただけ。今思うとね。

クラスのお友達とお誕生日会したり、遊んだり、小学生らしい楽しい思い出もあったり、親友を始め、「ああ、本当の友達やな」という人に出会い、どんな姿でも見守ってくれ応援してくれる先生(芝居みに来てくれたり)にも出会った場所。

今頑張って、文句いいながらも、こうして生きてるのも附属の繋がりがあったから!家は、くそでした。愛もなかった。附属の繋がりが支え、なんとか保っていたんだな。と改めて思い知らせる。附属卒業したら、(高校~役者やりだすまで)下り坂でした。病気になった時期でもある。附属と離れ、勉強、勉強ではなくなったけど、支えとしていた物が切れたのように思う。

勿論、全ての同級生と仲良しはしないし、団体行動はダメ出し、話さないし!だから尚更、自分のことを覚えていてくれる人なんていないな。と思っていた。当然、わからない、記憶にない同級生もいる。けど附属繋がりはあって。

長い人生の中、附属で過ごしたのは僅か11年。もう会わない人もいるだろうし、繋がり、繋がり言っててもこの先何があるか誰もわからないし、もしかするとなくなるかもしれない。仮にそれだとしても、その僅か11年だっただけでも、それがあったからこれから生きてける、色々あった中でもその中にもそれがあったから。それが、今考えてたら本当に幸せな事なんだろう。

大人になってもいまだに残ってる友達。本当の優しさに触れた友達に出会った。かけがえのない特別な場所。そういう人と同じ学校で学年で友達でいられたこと。実際どうかわからないけど、これまで一番大切にしてきた。これからも、他のものは失っても構わないから、大切にずっと守っていきたいもの。

今の私の考え方のベースとなるのは、附属からまなんだ、出来事から起きた事が軸になっている。

1996年11月18日月曜日。学校いけなくなった日。今年のカレンダーは、23年前のあの日と同じ11月18日は月曜日だった。あの時から、今に未来に繋がる全ては起きていたように思う。
やはり、毎年、胸がつかえて思い出す11月。

私の大切にしていきたいもの、全て。重すぎるんだね!