帰りの道のり
退院の後、自宅での生活は少々困難になる為私は実家に見を寄せることにしていた。
退院当日の朝、入院最後の食事をとっていると、愛娘の担当看護師の方がきて帰る前に娘を抱っこしていきませんか?と提案しにきてくれた。私がいた病院では32週過ぎた赤ちゃんを対象としたカンガルーケアというものがある。早い話が保育機に入っている我が子を保育機より出して抱っこすることができるのだ。
規定は32週より…わたしの子供はまだ29週本来なら対象外であるが、実家に帰宅後次はいつ顔を見に来れるかわからない私の為に特別にとりはからってもらえたらしい。私は、喜んで抱かせて下さいと返事をした。
退院後も病院まで我が子の顔を見に行くくらいは無理な事ではないのだが…私は行きたくなかった。
多分看護師さん達もその考えに気づいていたのだと思う。入院中幾度となく聞かれた台詞…。『退院後は、何日おきくらいにお顔を見にこれますか?』
その質問に私は苦笑いを浮かべながら『まだわかりません』と答えるしが出来なかった。実際、いくら術後の経過が良いとはいえ、お腹を切った人が片道二時間以上も掛かる道のりを運転していくのは周りに危険だと言われていたし、だからと言って父や母に運転を頼んで連れていってくれるよう頼むのも気が引けそうだったし、何よりも気持ちが落ち着くまででも良いから死んでしまった子供のことや懸命に生きている子供のこと考えたくなくて顔を見たくないと思っていたからだった。
担当看護師さんより提示された時間にNICUに来るようと説明を受けてた。私は言われた時間までの間ソワソワしながら待っていた。時間になりNICUに入っていった。保育機ね前に椅子が置かれてそこに座って待つよう指示され待つ事数分準備が整い我が子が私の腕の中おさまった。小さくて折れてしまいそうな手足をそっと撫でる。ガリガリの体をそっと抱きしめる。全てが小さくそれでも生きる為に一生懸命足をのばし、小さな手で懸命に私にしがみつき生きている事を見せてくれていた。生きてくれてありがとう…と小さな声で娘に囁いた。気が付くと一時間近くも過ぎていた事に気づき子供が、無事保育機に入り安堵した顔を見届けて私退院していった。
実家に戻ってからは上の子二人の面倒と軽い家事に追われ涙を流す暇さえないようにしていた。
退院当日の朝、入院最後の食事をとっていると、愛娘の担当看護師の方がきて帰る前に娘を抱っこしていきませんか?と提案しにきてくれた。私がいた病院では32週過ぎた赤ちゃんを対象としたカンガルーケアというものがある。早い話が保育機に入っている我が子を保育機より出して抱っこすることができるのだ。
規定は32週より…わたしの子供はまだ29週本来なら対象外であるが、実家に帰宅後次はいつ顔を見に来れるかわからない私の為に特別にとりはからってもらえたらしい。私は、喜んで抱かせて下さいと返事をした。
退院後も病院まで我が子の顔を見に行くくらいは無理な事ではないのだが…私は行きたくなかった。
多分看護師さん達もその考えに気づいていたのだと思う。入院中幾度となく聞かれた台詞…。『退院後は、何日おきくらいにお顔を見にこれますか?』
その質問に私は苦笑いを浮かべながら『まだわかりません』と答えるしが出来なかった。実際、いくら術後の経過が良いとはいえ、お腹を切った人が片道二時間以上も掛かる道のりを運転していくのは周りに危険だと言われていたし、だからと言って父や母に運転を頼んで連れていってくれるよう頼むのも気が引けそうだったし、何よりも気持ちが落ち着くまででも良いから死んでしまった子供のことや懸命に生きている子供のこと考えたくなくて顔を見たくないと思っていたからだった。
担当看護師さんより提示された時間にNICUに来るようと説明を受けてた。私は言われた時間までの間ソワソワしながら待っていた。時間になりNICUに入っていった。保育機ね前に椅子が置かれてそこに座って待つよう指示され待つ事数分準備が整い我が子が私の腕の中おさまった。小さくて折れてしまいそうな手足をそっと撫でる。ガリガリの体をそっと抱きしめる。全てが小さくそれでも生きる為に一生懸命足をのばし、小さな手で懸命に私にしがみつき生きている事を見せてくれていた。生きてくれてありがとう…と小さな声で娘に囁いた。気が付くと一時間近くも過ぎていた事に気づき子供が、無事保育機に入り安堵した顔を見届けて私退院していった。
実家に戻ってからは上の子二人の面倒と軽い家事に追われ涙を流す暇さえないようにしていた。
退院
術後の経過が良く予定していた日に退院が出来ることになった。その日から退院の日までは今までよりほんの少し早く時間が過ぎたように思う。
退院前夜持ち帰る荷物を整理していると、バックの底にある二つの木箱を見付けた。
それは、娘達と私を繋いでいた臍の緒…それを保存する為の箱だった。
箱の裏には持ち主の名前や出生日や体重等を記載出来るようになっている。
一つの箱には記載事項全てが埋まっていたが、もう一つには992gと言う数字と臍の緒の持ち主の名前だけが記されているだけだった…ふと気が付くと涙が頬を伝い落ちてきた。なんと重いものなのだろうか…
992gというこの子の命は、とても…とても重くて…今この一分一秒生き続けている愛娘よりも遥かに重い命の重み…人はなんと脆いのだろうか…人はなんとはかないのだろうか…母の体内に誕生し、母の体内より誕生する命はけして簡単に生まれいでるものではないのだと思い知らされた…
テレビでよく見ていた出産等の番組…トラブルがありもしかしたら、と思われたが無事出産…それが当たり前なんだと思いこまされていたように思う。悲しい現実よりは明るく良い現実を流すのは当然だと思う…けれども本 当はこんな現実もあるのだと…
退院前夜、声を殺しながら泣き伏せた。我が子と死別してから、一週間後私は無事退院した。もう一人の我が子を置いて…
退院前夜持ち帰る荷物を整理していると、バックの底にある二つの木箱を見付けた。
それは、娘達と私を繋いでいた臍の緒…それを保存する為の箱だった。
箱の裏には持ち主の名前や出生日や体重等を記載出来るようになっている。
一つの箱には記載事項全てが埋まっていたが、もう一つには992gと言う数字と臍の緒の持ち主の名前だけが記されているだけだった…ふと気が付くと涙が頬を伝い落ちてきた。なんと重いものなのだろうか…
992gというこの子の命は、とても…とても重くて…今この一分一秒生き続けている愛娘よりも遥かに重い命の重み…人はなんと脆いのだろうか…人はなんとはかないのだろうか…母の体内に誕生し、母の体内より誕生する命はけして簡単に生まれいでるものではないのだと思い知らされた…
テレビでよく見ていた出産等の番組…トラブルがありもしかしたら、と思われたが無事出産…それが当たり前なんだと思いこまされていたように思う。悲しい現実よりは明るく良い現実を流すのは当然だと思う…けれども本 当はこんな現実もあるのだと…
退院前夜、声を殺しながら泣き伏せた。我が子と死別してから、一週間後私は無事退院した。もう一人の我が子を置いて…
笑顔の裏
日がたつにつれて体の傷は癒されてきた。NICUに行き子供の顔を見る時間も増えてきた。顔を見るのが楽しみになってきてる。でも、心の中では顔を見るのが辛くて泣き出しそうになる。死んだ子はこの明るい光を見ることも出来なかった、声をあげることも私たちの声を聞くことも出来ずに逝ってしまったのだと、改めて再認識させられ…涙が滲んでくる。いったいいつまでこんな事の繰り返しを続けたら楽になれるのだろうか…いっそ死んでしまえたら…そんな考えが私を支配していた。昼間は人の目がある為けして暗い顔が出来ず、その反動からか夜は感情がなくなったのでは?と思うほど無表情になっていた。早く退院したい…忙しい毎日を過ごせば…実家に預けた子供達と過ごせばこの気持ちからこの虚しさからこの眠れぬ夜から…抜け出せるような…そんな気がしていた。早く退院の日が来ればいいのに…と指折り数えた…。
