火宅の人(下巻) | KY

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   その時、私は誰かと一緒に、蔵王の麓の、小さな温泉宿に泊っていた、と思う。

   いや、誰か、とではない。妹と一緒であった。中国から二十年ぶりに帰ってきた妹だ。今、ハッキリと思い出した。その宿は、恵子とも出かけて行ったことがあるし、その都度、酔って、気まぐれに東京から、誰彼と、見境なく押しかけていったところだから、記憶の混乱が、はなはだしいのである。

   しかし、次郎の事があった時には、辺りが、ただれるような紅葉に染っていた印象が明瞭だし、珍しく、宿のオカミが、私と妹の為に、自分から案内をかって出て、わざわざ自家用車を走らせてくれ、蔵王のひっそりとした雪の山肌を眺めに行った記憶がある。

   その蔵王から帰って酒を飲み、ようやく、眠りついた夜明け間近のことだったろう。

   けたたましい電話である。東京の自宅からであった。

「夜分に済みませんけれど、次郎が危篤なんです」

   うわずっている証拠の馬鹿丁寧なふるえ声であった。

「私、このまま、すぐ病院に駆けつけますけれど、よかったら、帰ってきて下さい」

   ……よかったらも、悪かったらもない。

「間に合う飛行機に乗って帰ります」

 

 

   次郎を、その、村山の病院に入院させてから、おそらく、まだ、一ヶ月とは経っていまい。友人の時枝君が、たまたま、ある福祉施設の新聞発行に携わることになり、どちらからともなく、フッと、次郎を入院させてみたらどうだろうと云う話になった。

   私は、まさか次郎が、その病院で、にわかに立ち上ったり、喋れるようになったりするようになろうなどと、虫のいいことを、考えてみたことはない。

   ただ、細君の鬱陶しい気分を、いくらかでも、軽減出来はすまいか、と、そう思っただけのことである。いや、私自身の、気持の一部を、薙ぎはらってみたかったのかも知れぬ。

   次郎が発病して、丁度九年。

   もう、とっくに不憫を通り越している。

   次郎と、それを取巻く私達の生活が、もし、安穏な、持続した生活と云うものにでもなり得るならば、私は、次郎をモノ云ワヌ、信頼だけの、かけがえのない、守護神に思ったろう。

   いや、いつだって、次郎を見る時に、心は洗われる。時たま家に帰ってくる主人を見る目は、その細君だってトゲトゲしいし、その子供達だって、何となく、不審な、眼差だ。しかし、次郎だけは、ちがう。私が家に帰ってきたことを感知すると、「ギャーッ」と奇声をあげるのである。だから私は、まっすぐ、次郎の部屋にかけこむ、ならわしだ。かりに、泥酔して、時たま、家の閾(しきい)をまたぐ時だって、まっ先に、次郎の部屋に乱入し、

      チチさん   酒呑んで   酔っぱらって   転ンだ

      ジロさん   それ見て   たまげて   転ンだ

         転ンだ……   転ンだ……

            転ンだ……   転ンだ……

   と、ころげまわりながら、歌うのがならわしだ。

   こんな時に、次郎のはしゃぎようと云ったらない。どんな夜更けだってハッキリと目を覚まし、キャアキャアと鴉のように不思議なわめき声をあげ、かなわぬ四肢を、マットレスの上に、のたうちまわらせながら、半狂乱。ヨダレを喰い、歯ぎしりし、泣き、わめくのである。

 

 

 

 

   その父は、たまたま、家に帰っていても、黙々と酒を飲みながら、どこぞ、砂漠の中をでも、うろついてくるか……、とアテもなく、そんなことを思いつめているだけだ。

   ようやく、細君が、次郎のオシメの処理、食事の世話をすました頃、ウイスキーの瓶を握って、次郎の部屋の中に入り込み、その次郎の病床の横に、ドタリと仰向きに寝そべって、

   三番のコース。カツラジロウ君。

   一番のコース。チチくん。

   ア。飛び込みました。飛び込みました。  

   チチ君が先頭を切っています。

   カツラジロウ君が、猛烈にそのうしろを追っています。

   いや。追いつきました。追いつきました。

   チチ君。カツラジロウ君。ならんで、猛烈な、水シブキをあげています。

   他愛ない水泳競技のアナウンスの真似事だ。

   ただ、次郎が発病の少し前、テレビの水泳競技や、相撲や、力道山の唐手チョップに、異様に熱狂していたことがあって、今も、その記憶だけは、残っている。次郎の砕けた脳髄の中に、その時間の印画と音響ばかりが、不思議な残欠となって、焼きついているのであろう。

   次郎は、身もだえ、手足をバタつかせ、喘ぎ、わめき、マットレスからすべり落ちる程の興奮なのである。

   そう云えば、細君が、しばらく、ある新興宗教の団体に入り込んで、タスキ懸け、奇妙な鐘を打鳴らしていたこともあった。

 

 

 

 

   羽田から、家に向って車を走らせた。

   家の様子では、そのまま、すぐに病院に駆けつけるつもりだから、タクシーは門の傍にとめたまま、玄関から入りこんでみると、その玄関に細君が立っていた。

「駄目でした」

   ひどくブッキラ棒に、それだけを云っている。

 

 

   座敷の中央に蒲団がのべられ、その上を白布で蔽っているが、どう見ても、そこに次郎の五体があるとは、思われなかった。

   まるで、センベイのように薄っぺらな起伏である。そのはじっこに、頭の部分だけが、大きくふくれ上がって見えた。

   白布をめくる。

   青ざめた次郎の死に顔だ。歯を喰いしばっている。

   死に直面した正確で、獰猛な、いさぎよさだ。

「後免ね、次郎」

   と私はそれだけである。次郎が精一杯にこころみた拒絶反応だったろう。全く精神的な自殺としか、思いようがない。ようやくはじまった読経の声にかくれながら、かえって、ビリケン主事が、オドオドと、

「こんなことになってしまって……」

   両膝に手をつきながら、涙声になった。

   私はあわてて、その主事をねぎらう言葉を模索するだけである。