何かに対して

 

どうしても罪悪感が消えない

ことってありますか?

 

 

 

私が10年ずっと、ふとした時に

感じ続けていた罪悪感を

 

 

あるワークをすることによって

 

初めて軽くなり「手放せた」

 

と体感できたことを書きたいなと思いますキラキラ

 

 

 

 

手放したい罪悪感がある方に

読んでいただけたらな~

と思います

 

 

 

 

まず、私がどんな罪悪感を

10年ずっと持っていたのかについて。

 

 

 

10年前

 

14年9ヶ月一緒に過ごした

実家で飼っていた

愛犬・レックスが旅立ちました。

 

 

 

私が8歳の時に家に来たレックスは

 

完全に私のママゴトの相手で

 

それはそれは、色んな遊びに

 

付き合ってもらいました

 

 

 

兄弟と歳が離れている分

レックスは私にとって

一番歳が近い兄弟

という感覚だったなと思います🌷

 

 

 

 

で、そうやって溺愛しているものの

 

反抗期がやってきた私は

 

 

 

自分が気が乗るときだけ優しくし

 

気が乗った時だけ散歩に行く

 

 

という

 

かなり自己中心的な接し方を

してました。

 

 

 

嬉しそうにレックスが

遊んで、と近づいてきても

 

 

機嫌が悪いと

 

「も~あっち行ってDASH!

 

と。。。

 

 

 

 

その瞬間の

レックスのしゅんとしたリアクションは

もう鮮明に覚えています。

 

 

 

こう書いていても

 

あ~なんて未熟だったんだろ~、、

と思います

 

 

 

 

そして9年前

 

私にとってこの三次元で一番大事な

母が旅立ちました。

 

 

 

母は40で私を生み

これ以上にない程愛情表現を

してくれていました。

 

 

 

だけど

 

これまた反抗期の私は

 

 

その愛情表現が疎ましく感じ

 

時に刃物のような言葉を投げ

 

とにかく私に構わないで!

 

愛情という名で束縛しないで!

 

と思ってました。

 

 

 

 

そして

10年前、9年前に

レックス、母がそれぞれ

旅立って以降

 

 

ふとした時に

 

自分が罪悪感を感じている

相手への言動を思い出し

 

 

もうそれを挽回する機会が

ないことに対して

 

なんとも言えない気持ちを

感じていました。

 

 

 

しょっちゅう感じていた

わけではないけど

 

母と想像以上に早く別れがきたことで

 

 

「こんなに早く別れがくるなら

 

反抗期が、どんなにもったいない

 

時間の過ごし方だったんだろう」

 

 

と。

 

 

 

なぜか

自分が相手にしてあげた

ポジティブな記憶は

全く思い出さず

 

 

後悔・罪悪感だけが

ふとした時に蘇ってたんです。

 

 

 

 

だけど

 

その罪悪感は

頻繁に蘇るわけではないから

 

そこまで正直解消しようとまでも

思っていませんでした。

 

 

 

でも、罪悪感を持ち続ける限り

 

本当の意味で自分の心からの望みを

叶えることって

 

難しいんじゃないかなと思うんです。

 

 

 

なぜなら

 

 

「自分が大願を叶えるに値する存在じゃない。

 

だって昔、こんなにひどいことを

相手にしたんだから」

 

 

 

という意識が

無意識の中に存在しているから。

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが

 

ではここから

なぜ、10年持ち続けた

罪悪感が解消できたか🌷

 

 

 

 

それは

 

藤本さきこさんの

 

お金の神様に可愛がられる

「3行ノート」の魔法

 

の中にあるワークの一つで

 

「自分を褒める100のこと」

 

がきっかけでした。

 

 

 

このワークのおかげで

 

放置してきた罪悪感と

向き合うことができ

 

そして、手放すことができました。

 

 

 

自分のいいところを

 

100個書こうとしても

 

そんなに書けるかな?

 

と思うと思います。

 

 

 

本にも書かれてありますが

 

一見短所とも言える自分の特徴を

含めて、とにかく自分自身の特徴を

100個書き出しますひらめき電球

 

 

 

そして

100個も書いていると

 

自分の大枠

 

が見えてくるんです。

 

 

 

だから、30個でも50個でもなく

100個という数が大事な気がしてます。

 

 

 

 

いわゆる世間的に

長所と言われる部分

 

 

一見短所に見える部分

 

 

 

それぞれに

 

自分が大事にしていること

 

自分の価値観の全体像

 

見えてきます。

 

 

 

そして

この短所に見える部分の

抽象度を上げて俯瞰すると

 

 

「短所の背景には長所がある」

 

 

って思いました。

 

 

短所と長所は紙一重

という表現より

 

 

「短所の背景に

 

自分がすごく大事にしている

ものがあって

 

大事にする度合いが強いからこそ

 

ネガティブに振りきって

一見短所に見える」

 

 

 

って感じかなぁ。

 

 

 

伝わりますか?ゲッソリ

 

伝わりますように!笑

 

 

 

で私の場合

 

一見短所に見える特徴の一つに

罪悪感に関する内容も

書き出しました。

 

 

 

100個の中で

罪悪感に関する内容と

 

他のいわゆる長所と

一見短所に見える特徴と

 

全てを総合的に全体で見ると

 

 

 

 

今も罪悪感を持っている

 

 

〇自分の言動を俯瞰している

 

 

〇俯瞰した上で、その言動で

相手がどう感じるかの想像力がある

 

 

〇想像した上で、自分の言動を

省みる心がある

 

 

つまり、相手の気持ちへ

配慮する心がある

 

 

 

ってことじゃないかなと思いました。

 

 

 

なので

 

罪悪感を持つような

 

「自分の言動」

 

 

にフォーカスすると

 

 

なんて最悪なことをしたんだ

なんて奴なんだ私は

 

と自己否定になるけど

 

 

 

「罪悪感を持ってる私」

 

にフォーカスすると

 

 

 

あれ??

めっちゃ私いい人じゃない?笑

 

 

と思ったわけです笑

 

 

 

 

だって

相手の気持ちに配慮する今の私が

いなければ

 

 

自分が過去に相手に投げた泥を

 

まず、覚えていないだろうし

 

 

 

「反抗期だったしねー」

 

ぐらいのあっさりした感情で

 

反省の気持ちって

ないと思うんですよね。

 

 

 

 

私の場合、自己卑下するクセとか

 

他の色んな要因もあって

 

罪悪感を持ち続けていたと思いますが

 

 

 

藤本さきこさんの

こちらの本のワークのおかげで

 

 

自分の特徴の全体像

 

を見ることで

 

 

 

罪悪感を持っている自分とは

どんな自分なのか?

 

 

 

というのが見えて、

 

 

省みる心があればもう十分。

 

もう、なんて嫌な奴なんだと

自分で自分を虐めるのは

もうやめようって思えました🌷

 

 

 

今は

罪悪感を感じていた

自分の言動を思い浮かべても

 

きゅ~って胸が苦しくなる感覚は

もうなくなりました。

 

 

 

自分の感情を理解できるのも

 

こうやって分析して明解できるのも

 

自分しかいないですもんねビックリマーク

 

 

 

もっと自分に優しくありたいなと

思います音譜