どんなに重症の
人であっても

究極、たった今
逝く人であっても

どんな医療を受けるかは
本人の意志に委ねる

べきなんです

というか法的に
そのはずなんですが…

脳死の時の
臓器移植の意思表示が

その一例ですね

どんな医療を受けるかは

本人の意志は
関係無いかのように

若い世代に
働きかける人々や
メッセージ

そしてそれを強くアナウンスする
職場や学校やメディアを

何とか止める事は
出来ないものでしょうか

どんな医療を選択するかは

どんな生き方や
人生を選択するか

に深く関わってくるのです

大げさでは無く

投薬による
便秘の副作用や

手が震える副作用を

「大した事は無い」

と、

どうして医療を提供する側が
判断するのでしょう?

精神疾患患者の
入院や投薬を決めるのは

本人ではなく

医師と本人の家族ですから

私の仕事や
音楽活動を

それらを続けるために
努力してきた事を

家族がそんなに

価値があるとは
思っていない場合

復帰はとても困難になる

日常生活が送れる段階になっても
「命があれば良いじゃないか」

と、私の大切にしたい事柄を
病院が遠ざける事が

何の精神的な『治療』なのか
私には理解出来なかったのですが

そうして人のQOLや
アイデンティティーを取り上げて

息をするだけの
屍にしようとするなら

子どもたちや若い世代は特に
絶対に関わらせたく無い

と、

思ってしまいます

自分の治療方針を
変えたいなら

まずは家族を
説得しなくてはならないなんて

何て非医学的な方法なんだ…

価値観の全く違う家族を
(愛が無いという意味では無く)