私は医師ではなくコーチなので、

アスペルガー症候群っぽい人を

あすぺるがー風な人、

略して「A風な人」と呼んでます。

 

A風な人の世界には、

人は自分だけであり、

他者はすべて

自分が優越感を得るための道具

として認識しています。

 

なので対人関係というものがありません。

 

あるのは対物関係だけ、

ということです。

A風な人が、

結婚したり子どもが生まれたりすると

配偶者も子どもも”物”として認識します。

 

配偶者も子どもも、

これをどう利用すれば

自分は優越感を得られるのか?

という接し方をされます。

 

そして、

最もA風な人が落ち着けるのが

自分が配偶者や子どもを

征服できている状況です。

 

その征服は、

強さによるものでも、

弱さによるものでも、

どちらでも構いません。

 

A風な人は対人関係がないため

相手との関係の調和がわかりません。

 

わからないため、

相手を征服する他に

自分が安心できる手段がないのです。

私の父親はA風な人ですが、

幼い頃から父親は

「偉そうにしてるが、無能だ」

と感じていました。

 

なぜなら、

私が話すことは間違っており、

父親が話すことが正しい、と

扱われていたからです。

 

実際に私が体験したことであっても、

体験してない父親の言うことが

常に正しいとされる、

とてもおかしな家庭でした。

 

今なら、こうするのは、

父親が私を征服することで

安心しようとしているとわかります。

 

しかし、

当時はわからないため、

父親が話すことを聞くと

よく混乱していました。

 

内容がおかしいからです。

 

父親が

「友達たくさんつくれよ」と、

さも友達たくさんつくることが

自分は”善いこと”と知っているんだと

自慢するように言ってくるのですが、

そういう父親自身には友達がいませんでした。

 

なぜ友達たくさんつくると良いのか?

何に対して良いのか?がわからないので

父親に質問します。

 

「つくると、何が良いの?」

 

すると、父親は、

「そういうものだから」とか

「友達いないのはよくないから」とか

質問の答えにならないことばかりを

並べ立てるだけでした。

 

さらにひどいと、

「親にそんなことを言うもんじゃない」とか

「親の言うことは素直に聞くもんだ」とか

「親を困らせるな」などと返ってきます。

 

つまり、父親は、

なぜ友達たくさんつくると良いのか?を

知らないのです。

 

知らないのだけど、

私を征服する手段として、

「友達たくさんつくると良い」を

何が何でも使いたかったのです。

 

私が何の疑問も持たずに、

「友達たくさんつくると良いんだね!

ありがとうおとうさん!わかったよ!」

みたいに答えることで、

父親の征服が成立し、

そこで父親は個人的に安心できた、

ということだったのでしょう。

 

知らないなら知らないで、

友達たくさんいる人が

楽しそうに見えたから、などと、

素直に答えてくれれば納得できるのですが、

それは沽券にかかわるようで

絶対に言いませんでした。

 

私は、理解ができないので、

「わかった」とは言えません。

 

そうなると、

理想の回答をしない私に対して

父親が「困る」を使い始めます。

 

「困る」を使い続けていると

母親が横から入ってきて

加勢してくれるとわかっているからです。

 

母親は父親に見捨てられないために

父親の側に立つしかないと

信じている人です。

 

そんな母親が横から

おとうさんをこまらせるんじゃ

ありません」と迫ってきます。

 

大人ふたりがかりで

幼い私を無理やり説得しようとします。

 

結局、私は見捨てられると

死ぬしかないと信じていたので、

本気の大人相手にやりあうこともできず

わかってないけど「わかった」と言って

話を終わらせていました。

 

「わかった」を聞くと

父親はとても満足したようで

満面の笑みを浮かべながら

「わかったね?」とさらに追い打ちを

かけてきます。

 

そうして「わかったね?」と訊けば

私が「わかったよ」と返すと

わかっているからです。

 

これも、

理想の回答を私にさせることで

父親が「征服できている実感」を

味わうことができ、

繰り返せばそれだけ

何度も味わえるわけです。

 

だから私は、

父親の満面の笑みを見ると

気分が悪くなってました。

 

今でも、それはあります。

 

母親も、私に犠牲を払わせることで、

自分が助かったことに安堵を感じて

「ちゃんとおとうさんの言うことききなさい」

などと言ってきます。

 

まるで霊感商法みたいな

押し売りのようです。

こんなことがあったと友人に話すと、

お前の親、バカなんだな笑」と

言われることもよくありました。

 

それは、

まったくその通りであり、

自分の思いに共感してくれているので、

その面では嬉しかったです。

 

しかし、

自分の親がそう言われるのは、

自分の恥ずかしい面をさらしたようで

悲しくもありました。

 

また、こんなことを大人に話すと、

決まって皆、親の肩を持つ人ばかりでした。

 

現場を知らないのに

「ご両親はお前を大切にしているんだよ」とか

「親を悪く言ってはいけない」

などと言われたり、

「親の言うことはちゃんと

聞かないといけないよ」とか

「自分はもっと大変だったから、

それくらい我慢しなくちゃいけない」

なんて否定的な返事が返ってきました。

 

それは私の話を

まっすぐ聞いてくれていない、

すなわち、

私が軽んじられていることであり、

とても嫌な気持ちになりました。

 

なので、こんなことがあっても、

次第に誰にも話さなくなり、

一人で抱え込むようになりました。

 

 

これをどう説明したら

わかりやすいのだろう?

私はいつも考えていたようで、

つい最近、思いつきました。

 

それは、

親が読んでいない本を

「この本は良い本だぞ」と

私に言ってきて、

私に同意させようとしていること

同じだと思いつきました。

 

実際に読んで、

「何が良いのか」を理解した上で

勧めてくれるのならわかりますが、

なんとか読まずに済ませた上で、

「この本が良い本だと知っている自分」を

私に認めさせたい、という、

とてもひねくれたことをしているのです。

 

こんなことを言われたら

「なぜその本が良いのですか?」とか、

「何に対して良い本なのですか?」

などと訊くことは、自然なことでしょう。

 

もしこんなことを質問すれば

親は私に

「親の自分に同意しろ」

「同意しないと見捨てるぞ」と

脅迫してきます。

 

私は、

脅迫されると死にたくないので

自分に我慢をさせて同意します。

 

同意すると父親は歓喜します。

父親はこれを

相手を選んでしています。

 

つまり、

脅迫が通じる人だけ

相手にしているのです。

 

私には姉と弟がいますが、

彼らは父親に従順だったので

そもそも脅迫が必要はありませんでした。

 

母親も従順といえばそうですが、

さすがに「犠牲を払え」と言われて

耐えられない場合には反論していましたから、

その度に父親は脅迫を使っていた様子でした。

 

私を説得するときに父親に加勢するのは、

脅迫の効果があったからでしょう。

 

一方で、外部の人に対しては、

脅迫を使うと、

自分が社会的に生きていけなくなる

父親はわかっていたようで、

しませんでした。

 

他者との関係において

常に相手を征服しないと安心できない父親は、

脅迫が使えない相手とは関係を

そもそも持とうとしませんでした。

 

征服できない相手とは

どう接したらよいのかわからないのです。

 

その「わからない」が恐怖だったので、

他者とは関係を持たないことが

その恐怖を抱えずに済む

最良の策だったのです。

 

そんな臆病な人がよくも偉そうに

「友達たくさんつくれよ」

などと言えたものだと呆れるばかりです。

唯一、父親が安心して持てる関係は、

”自分がお客様である関係”です。

 

自分がサービスを受ける側だと、

相手を征服できている感を

感じられるからでしょう。

 

相手は父親にお金を払わせたいので

一生懸命に父親の関心をひこうとします。

 

相手が自分を気遣うのは当然で、

自分が相手を気遣うのは特別、という、

圧倒的有利な”立場の差”を味わうことで

たっぷり優越感を搾取できるからでしょう。

(気持ち悪いです...)

 

また、父親が、

他者に貢献しているように見えても、

それは貢献という行動をすることで

得られる個人的利益があり、

それを得ることが目的となっています。

 

常に関心の向け先は、

自分自身以外に向くことはないのです。

 

 

父親は今でも私を征服できると思って

あれこれ仕掛けてきますが、

今はもう脅迫が通じません。

 

切り札だった「見捨てるぞ」を言ってみても

私からは「見捨ててみろよ」と

返ってくるばかりだとわかっているからです。

 

それでもやっぱり私は

父親からすれば”物”であり、

優越感を得るための”ただの道具”なので、

あれこれ仕掛けてきます。

 

最近では、強さを使う方法ではなく、

弱さを使う方法になっています。

 

自分は弱いのだから、

気遣うのはお前だろ?

弱い自分をちゃんと気遣えよ

という感じです。

 

実際に気遣うことをせずとも

それに「はい、そうですね」と答えるだけで

父親は満足するようで、

その後しばらくは

何も仕掛けてこなくなります。

 

幼い頃にくらべたら、

とても平和になった感じです。

 

対等な対人関係を持てなければ

共同体感覚も発達しないので、

父親は個人的利益としての

安心を感じることはできても、

「しあわせ」の感覚がわかることは

今後もないでしょう。

 

「他者への関心」を養うことができれば

対等な対人関係を持つことも可能ですが、

構造的に養えないため、

今後も同じような状況となるでしょう。

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

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